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中学時代僕はやたら人気がありました。校内で知らぬ者はなかった。 とくに笑顔を見せたわけじゃないし、無口でタレントの名前も知らない。 もともと邪気が少なかったのは確かだ。意外かもしれないが、怒りを発しないことは人徳の一つに数えられます。知性が現象を上回れば怒りは生じません。 それから相手の話を最後まで聴いた。ここで書いてる文章は怜悧だけどさ、実際の雰囲気は違うわけです。安心して話せるみたいだった。 学校を批判する作文を書き、将棋大会で数回優勝し、テニス・クラブで活躍したりとなんかスーパー・スター状態でした。でも僕自身は苦しんだね。読書量が全校で二位、とにかく真実を求めて足掻いた。卒業間近のころ、好きな女子いる? って聞かれて 「それは偏った愛にすぎない」とか答えた覚えがあります。 高校時代はたくさんの後輩に尊敬されてると知って驚き、 「くだらん奴を尊敬して何になる」と思った。 当時人間が嫌いだったし、自己嫌悪していました。 僕は表現力がなかったんだ。エンデを読み、ショーペンハウエルを学んだころ、まだ夢の価値に気付いてなかった。思索主義者だったのです。 ちなみに仏典の影響で戒律を守り、徳を積みはじめてから人生がまるで変わったな。 心の闇を払い、光を増大させるにしたがって自由になるわけでも、幸福になるわけでもなく英知へシフトするのです。苦しみの原因を理解する。 よって生き方を修正することができます。いいですか、自我を撤退してしんの優しさ、善意を向ける貴さをよく考えてみてください。 気休め程度の親切なら誰にでもできる。大切なのは病や、老死に代表される多くの予定苦悩をどう解決するかだ。僕ら人間の立場は生易しいものじゃない。 近ごろ感じるのですが、徳のエネルギーは人を引き付ける。強い光の持ち主は悪口を浴びせられるくらい、周りが安心して近付いて来るようです^^。 非常に残念ながら、僕はいつもあまり関係のない話題を提供しています。というのは世の中にその概念を理解させてくれる最低限の予備知識も存在しないから。 知識の他に鋭い感受性が必要です。慈しみ、慈しみ、そして慈しみさ。 僕の場合は財徳がいちばん好きで、信頼できる天才に気前がいい。頭は理解できないでしょう、でも魂は知っているはずだ、与えるほどヒトは豊かになる。 物欲が強ければせめて真実を語ろうね。って、福音書の内容と同じじゃん。 とくに現代社会は生きてるだけで光をなくし、動けなくなるシステムです。 人間はまだ、第六感を有している。徳すなわちマナを蓄えることで夢が変わり、邪気を弱め、なりたい自分になれると主張致します。 以上、夢学における最奥義。こんご独りとなろうにも苦労するかもよ。 |
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