11月2日(木) 言霊 街を歩いてると,文房具店の店頭には「筆ペン」が並んでる。 PC雑誌の表紙には「年賀状ソフト徹底比較!」 駅前の花屋には「クリスマス・ツリー」が飾ってある。 気の早い店では ジングル・ベル が鳴っている。 グウタラな生活をしてると一年が悲しいほどに早い。(泣) これはヤバイぞ!と,かなり焦った途端,色んなところから色んな電話が入って来た。 仏教的にいうところの「すべては心の現われ」とは,このことか?(笑) みなさんにも,ありませんか? ある人のことを強く思ってたら,当の本人から電話が懸かってきた,とか。 私にとって,この現象はごく当たり前になりつつあります。 だから,極力,否定的なことは考えないようにしてる。 その通りになるから・・・(笑) もちろん,否定的なこともなるべく言わないようにしてる。 つい,言ってしまって,しまった!と思うことはあるけど すぐに「Delete!(削除)」と言えばいい。(笑) よく,友達との会話にもありますよね。 「そんなこと言うなよ。ほんとうになるから・・・」 これ,本当です。 言葉の力というのは怖い。 「言霊」というのは迷信でもなんでもない。 それを「念力」と,言ってしまえばいかがわしいが(笑)少なくとも,現象を動かすエネルギーに違いはない。 それを目に見える形で証明するかのようなお話を 明晰夢の掲示板の中の じゃすみんさんの投稿から紹介しましょう。題して 『水からの伝言』 つづいて,掲示板のカキコミからの紹介です。 |
そうそう... 【投稿者】 mary 【投稿日】2000/10/30/(月)
午前08:13:43 おひさしぶりです。 >殴り合いのケンカこそしなかったものの,意見の衝突は私 >にとってひとつの娯楽みたいなものでした。 >ケンカのためのケンカではなく,自分を知り,相手を理解 >するためのアイテムとしてケンカがあった。 そうそう...私もそうだった(笑)。 「ケンカ」とか「意見の衝突」という言い方が 適切かどうかはしらないけれど、 意見のぶつけ合いは刺激的で、好きだった。 相手を知るためにも、自分を知ってもらうためにも...。 でも、それが攻撃的でイヤ、という人にとっては、 私たちほど厄介な人間はいないよね、きっと。 |
maryさん,おひさしぶりですね。 もう来てくれない,と思ってたのでとても嬉しい!(^_^)v ちょっと前にHPを閉鎖して,また復帰したかと思ったらまた閉鎖してましたね。(笑) maryさんのHPは英語がメインなので読むのに苦労します。 「バビロン」という単語英訳ソフトじゃ読解できない。 パソコン用語がすべて英語だからって英語が得意になるわけじゃないんですね。(←バカ) ♪♪でも、それが攻撃的でイヤ、という人にとっては、 ♪♪私たちほど厄介な人間はいないよね、きっと。 確かに・・・^_^; 相手を見極めないと,本物のケンカになりますよね。 意見をぶつけ合うには,お互いが相手に対してある程度の尊敬の念を持ってないとムズカシイ。 意見のぶつけ合いのつもりが,いつのまにかプライドのぶつけ合いになってたりする。(笑) まあ,自分のプライドをコントロールするのも議論の醍醐味だけど・・・(もっと厄介だな,これ。) いやがる人もいるだろうけど,自分の優位性を誇示する目的(自己のプライドの満足)でなければ,いつか受け入れてもらえるんじゃないかなぁ。楽観的すぎるかなぁ?・・^_^; 議論は,議論そのものの内容より,心がまえの方がはるかに難しいですね。 また来て下さいね。なるべく早く,翻訳ソフトを手に入れますから・・・(笑) |
おひさしぶりです♪ 【投稿者】
ひめか 【投稿日】2000/10/29/(日) 午後04:41:15 たまに覗いていたんですが、素通りしてました。m(_ _)m 日記の「人間嫌いにケンカする資格はない」ってのは、なかなか良い言葉ですね! 実は今年の1月下旬(ちょうどパソコンを買う前くらい)に、私は生まれて始めて友人だった人から離縁状みたいな手紙を受け取りました。 一方的に送ってきたので、私の発言やら態度やらの何かが彼女の堪忍袋の緒を切ったのだろうけれど、それが何なのかすらハッキリ分からずに、それ以来、結構対人関係に臆病になってます。 友達はいますよ。それなりに。 でも、どこかで距離をおいている自分がいます。 自己防衛なんだろうなあ〜。 今もすごく臆病です。好きな友達であればあるほど、臆病になったりとか。 そんな事を日記を読んで思い出してしまったわ。(汗)でも、普段はわりと楽観的な考えなので、忘れていることが多いんですけどね。(笑) HP更新しました。「personal」の方も作ってる最中なので、また遊びに来てね〜♪ (でも、小説は進んでいない…きゃぁ〜〜!!) |
嫌われた理由が分からない,ってツライですね。 私も今,絶交状態の友人がいます。 彼の場合はメールで「絶縁状」が来ました。 とりあえず理由が書いてあったけど,ある程度は分かるけどある程度は分からない。(笑) ケンカ別れするなら,やはり手紙やメールじゃなくて,きちんと顔を合わせて口頭でするのがルールでしょうね。 手紙やメールの絶縁状をもらった人間は一方的に言われっぱなしで言い訳もさせてもらえない。 悔しいですよねぇ。 絶縁状に返事を書くわけにもいかないし・・・(私は書いたけど(笑)・・結果は・・返事なし・・^_^;) まあ,「顔も見たくないんだよ!」と言われればそれまでだけど・・・ 少し時間が必要かもしれませんね。 あまり臆病になり過ぎるのはよくないですよ。 自分の欠点を知りたかったら,相手に対してもきちんと欠点を指摘することです。 成したことは返ってくる! 因果応報ですね。(笑) 他人から言われなければ気が付けない事ってのはどうしてもありますから,そこのところは大目に見てもらいましょう。(笑) 少なくとも,ひめかさんが一方的に悪い,ってことはあり得ないわけだし。 絶縁状態の彼とは,復縁(?)したいと思ってるが,厭がられたらショックなので迷ってる。 私も臆病者です。 まだ,しょーもない意地(プライド)が残ってるんでしょうね。 情けない。 もっともっと強くならねば!とホントに思うこの頃です。 |
11月10日(金) 少ない怒り 人に好かれたい!という欲求は,誰しもが持っている欲求ではないだろうか? しかし,人間というのは面倒くさい生き物で,相手に好かれたい,と思いながらも,わざわざ嫌われるような事をしてしまうものだ。 例えば,素直に「好き!」と言えばいいのに,好きな人を苛めてしまうとか・・・。 まあ,こちらが好きでもないのに一方的に付き纏われるストーカーのお話は今回は置いとくとして,人に好かれるのが厭だ!と言う人は余程の変わり者だろう。 ところが,じゃあどんな人が好かれるのか? そのためには具体的に何をすればいいのか? という問題になると,なかなかうまくいかないのが現状ではないだろうか。 そこには,分かっちゃいるけど止められない,という自分の性格的な問題や容姿の問題もある。 しかし私が一番の問題と思うのは,私たち自身が人に対して本質的に求めているものは何か,ということを理解していないことだ,と思うのだ。 一体,それは何か? その質問に対する大きなヒントになりそうな文章を今回も・・・^_^; 明晰夢掲示板の 夢野さん のカキコミから紹介しましょう。題して・・・ 『 人に好かれる方法 』 うーむ!ダイレクトなこのタイトル。いいなぁ。(笑) なんだか,この「迷宮」は明晰夢掲示板の分室みたいになってきたなぁ。 ここのところ,文章を書く気力がないので,しばらくは他人の褌で相撲をとることにします。(笑) 怒りの感情が少ないのって,自分にとってもラクチンですよね。 相手もその分リラックスできる。 怒らないと舐められるじゃないか,って? 私の経験からすると,決してそんなことはありません。 たとえば,ニコニコと温和なヤクザさんって物凄く怖いと思いません? ちょっとたとえが悪かったか。^_^; |
11月14日(火) 今日は,リンク集に を追加しました。 このHPは,私が惚れ込んで一方的にリンクをさせていただきました。(もちろん,了解はとってあります) 「哲学と心理学と日常」をテーマとするホーム・ページですが,その膨大な文章量もさることながら,私が最も惚れ込んだのは,読めば読むほど優しい気持ちになれることでした。 「トンネルの出口」というエッセイの中に 【 「ぷよのひとりごと」→「ちょっと軽めのエッセイ風」→「トンネルの出口」】このような文章があります。 私はずっとそう思っていた。 そして、経験的にはそれを確信している。 経験の中には、自分自身を観察した結果もあるし、他者の行動を観察した結果も含まれる。 私も,「怒り」や「瞋恚(しんに)=怒り」の感情が背景にある論理や哲学は,どれほどもっともらしく思えても,巧妙な屁理屈にしか過ぎない,と確信している。 もっと端的に言うならば,「愛のない哲学」は偽者だ,と思っている。 ぷよさんのHPは,私たちが(私も含めて^_^;)日頃忘れている,ほんとうに大事なことを,哲学的・心理学的に追求することによって,深い納得と共に思い出させてくれる貴重なHPです。 |
11月18日(土) 少ない怒り(その3) 今日は掲示板のカキコミに対するレスを中心に進めていきましょう。 |
そうだんです。(CMパクリ) 【投稿者】 ひめか 【投稿日】2000/11/15/(水) 午後05:31:22 前に書いた絶縁状の件と前後して、他の友人ともちょいとヤバかった時期がありまして、そのまた他の友達に相談した事があった時に、「甘えの構造」について話をしました。 甘えの限度って難しいですね。 本音を全部晒すってのは、なかなか難しいし私なんかは、それじゃ関係は成り立たないとすら思っています。が、学習しない私は、親しくなるとつい甘えが過ぎてしまい、相手を怒らせるというパターンを何度も行ったり来たり〜♪(同じ相手じゃないですよ) で、何かあると、また最初から距離を取るところから始まったりする、この繰り返し。 ちなみに生まれて○年、「親友」という言葉を使ったことがありません。でも、こういう人って結構いるかな。多分。 早く言えば、距離の取り方が下手なのかもですね〜。 |
ひめかさん,いつもありがとう!(^_^)v ちなみに生まれて○年、「親友」という言葉を使ったことがありません。 でも、こういう人って結構いるかな。 (^o^)/は〜〜い!!いま〜す!(笑) もしも,「親友」と思える友人がいたら,その人に対して「親友」という言葉は使えませんよね。 「親友」というのは契約ではない。 「お前は俺の親友だ!」などと言う人とは絶対に親友になりたくないなぁ。(笑) 私たちが,ある人と「友人」になるのは,自分にとって条件が合うからですよね。 うーむ!人間不信の見解だ。(笑) 自分にとって好みの性格だから。 自分にとって楽につきあえるから。 自分とは利害がぶつからないから。 etc・・・・・ でも,お互いの条件は時と共に変化する。 例えば会社の友人の場合,相手か自分のどちらかが昇進した途端,友人関係が壊れることが多い。 それは,どちらかの嫉妬であったり,気まずさによるものだ。 例えば,女性同士の友人の場合は相手が結婚したり,彼氏が出来たりすれば関係は変化するのかな? ドラマなんかで良くあるような,友人同士が同じ男性を好きになった!なんてことになったら友人関係を続けていくのは相当に難しいでしょう。 友人関係というのは,お互いにとって精神的負担が少ないからこそ続いてるところがある。 でも,お互いの要求する条件が一致する状態は「一瞬」しかないと思うんだよね。 これは,精神的コンディションにしても同じことが言えますね。 昨日は軽く受け流せた相手の言葉が今日はやたらとカチンときたりする。 人と人の関係というのは,いつでも綱渡りですよね。 でも,年がら年中ピリピリとバランスを取ることばかりを考えてたら,いいかげん疲れます。 基本的に,自分自身に誠実で,相手に対する悪意がなければ何を言ってもかまわないと思うんだよね。 それ以上のことは,私たちには何も出来ないんじゃないだろうか? 私は,他人というのは自分の精神的な成長や成熟のために利用すればいい,と思っている。 それ以外を目的とする人間関係はほとんど価値を見出せない。 もし,相手が同じ気持ちだったら通じ合うものがあるだろう。 友人とか親友は,その過程の副産物として生じるもので,目的じゃないと思うんだよね。 人間ってどうしようもなくエゴイスティックな存在だから,そこのところに対する諦めというか,寛容さも必要だと思う。 相手を必要以上に美化し過ぎてしまうと,あとで「裏切られた!」などと騒ぐ破目になるしね。 誰も私たちを裏切ったりしない。 自分で勝手に作り上げたイメージから裏切られたにすぎない。 人間関係に対する人間の学習能力は,とてもお粗末です。 何百回となく失敗しないと分からない。 学習を早くモノにするためには,堂々と短期集中型で失敗するしかないです。多分。(笑) 最終的には,人間関係にこだわらなくなった時に「親友」が出来るのかもしれませんね。 参考資料(?)として,ひめかさんには p-moon さん の『ロマリアの星』を紹介しましょう。 きっと,色んなヒントを与えてくれるはずです。 |
書き込みありがとう 【投稿者】 ra-ra 【投稿日】2000/11/16/(木) 午後12:48:07 最近の自分をとりまく環境はかなり厳しいものがあります。 本来の自分は のほほんと明るい性分なんだと思います 少しでも考える事を深めたい、そんな気持ちがあるから哲学的なページや、心を扱ったページに目が止まるのでしょう。 そしてファンタステックを夢見てるのかもしれません。 自分で言葉を用いて、難しい事は書ける力はありません。 決して似非優しさを気取っている訳ではないのですが、直接的に怒りをぶつけること、赤裸々に現実を書き立てるエネルギーが、少々衰えているのかな? 怒るには負のエネルギーが必要です。負は体に悪い! 私の残り少ないエネルギーはせめて、ほんわかした物にそそいでいこうと思いました。 何か言い訳がましいかきこみだにゃ。 実父と久し振りに旅をしました。新幹線は高いです。 85才以上は安くして欲しい! これも怒り? |
ra−raさん,こんにちは! 少しだけ(?)お久しぶりですね。(^_^)v 「怒り」を「怒りのまま」にぶつけると疲れますよ!(笑) 怒りのエネルギーは一旦昇華しないと,現実を見る目が曇ります。 現実を見詰めるエネルギーに変換する,と言った方がいいかな。 ちょっとヨーガ的な表現ですが・・・・(笑) 確かに新幹線は高すぎますね。 私の郷里は福岡(博多)なので,飛行機とほとんど変わらない運賃に随分腹を立てたことがあります。 でも,怒っても料金が安くなるわけじゃないし,疲れるのでやめた。 世の中の無数にある理不尽に怒ってたら,いくらエネルギーがあっても足りませぬ。(笑) 他に安くする手段を探すことにエネルギーを使った方がお得ですね。 最も怖いのは,怒りの感情の元で考えた見解は偏見に陥りやすいことです。 エネルギッシュな人は怒りっぽくなります。 つまり,エネルギーは怒りに変わりやすい。 でも,「怒り」にエネルギーを使うのは最悪です。 少なくとも,「ほんわか」の方が「怒り」よりずっとマシでしょう。 賢い休憩のしかただと思いますよ。(笑) また来てくださいね。 |
マイブーム 【投稿者】 正直モノU 【投稿日】2000/11/16/(木) 午後02:48:49 ゴンちゃんサポートセンターのにこらす掲示板のイモムシ この携帯のかめら つかえぬ。 |
おやおや,内蔵デジカメは使えませんか? いいこと聞いたぞ! その他,お得な情報があったら随時教えて下さいね。(笑) 現在は携帯電話どころか,自宅の電話も止まりそうでそれどころじゃないけど・・・^_^; |
ごめんなさい。 【投稿者】 愛 【投稿日】2000/11/17/(金) 午前02:26:02 まったくもう、ほんとに、 機嫌が悪いって最悪です。 月が丸いからですか。 |
おおっ!愛さんだ!(笑) うーむ!女性の場合は男には理解できない生理がありますからね〜。^_^; でも,生理は生理として横に置いといて,心の働きだけを見つめていく方が賢明でしょう。 男にも男の生理があるしね。(笑) 「機嫌が悪い」という状態を肯定して,そこで沸き上がってくる色々な想いの連想ゲームに巻き込まれないように気をつけて下さいね。 この時に「怒りの連想ゲーム」を延々とやってしまうと,次に機嫌が悪くなったときは,「もっと機嫌が悪い」状態になります。(笑) 怒りのネタを増やしてもいいことはありません。 私は,「ムカッ!」とすると,「ムカッ!」にググッと心を集中させます。 そんな時は大体息を止める!(笑) 怒りを静めるには深呼吸,などと言うけど,心に余裕がないときは間に合わない。 まあ,ヨーガ瞑想のちょっとした変型ですが・・・・ 息を止めて集中してるうちに,少しづつ自分自身の「機嫌の悪い状態」を客観的に見れるようになります。 「ああ,私は今,機嫌が悪いんだなぁ」って感じかな。 「なんか,ばっかみたい」と思えるくらいになるまで集中できたらいいですね。 あ,それから,出来なくても落ち込まないこと。(笑) 心は簡単には変わりません。 でも,否定的になるともっと変わらない。 愛さんには,仏典から 『怒りについて』 の詩句をプレゼント!(そんなもん,いらん?^_^;) ちゃんと読んでね。(笑) |
11月21日(火) 屁理屈の構造? さて,今日も掲示板のレスを元に日記を進めましょう。 |
読みましたよ 【投稿者】 愛 【投稿日】2000/11/19/(日) 午前02:11:18 愚者の餌ですか。 すごいですねぇ。 別にそこまで怒ったりしたことないんで。 全てを破壊するほど怒るよりは、自己破滅していくほうなので。 他人への怒りは全て悲しみに変えて自分で癒してみせる 月になれるほどすばらしくも美しくもないし、 名声もいりません。 文字しか追ってないですが。 汚いよもうわたしは。 さみしいんだ。 最低。 |
愛さんこんにちは! あらら!景気のいい爆弾を落としてくれるかと思ったら,今回は沈没してますねぇ。(笑) 「怒りについて」を読んでくれてありがとう!(「ケッ!」と一笑されるかと心配してました。^_^;) 「愚者の餌」って表現は言い得て妙ですよねぇ。 「怒り」は感情の中ではかなり粗雑な感じがしますね。 つまり,微細な感情が寄せ集められ固められた感じかな。 その点,「寂しさ」は少し微細になってくる。 逆に言うなら,この「寂しさ」が寄せ集められると「怒り」に変わる可能性もある。 人間の感情の元になっているものを仏典では 「無智」「貪り」「瞋恚(しんに)=怒り」という言葉で表現していますが,私もまさしくその通りだなぁ,とつくづく思います。 「無智」により自分を不幸にするものを選択し,それを「貪る」ことによりそれを奪われたくない為に他を排斥しようとする「瞋恚(怒り)」が生じる。 「それ」は,モノであったり,セックスであったり,愛情であったり,プライドだったり,権力欲だったりする。 私たちの心の流れは意外とワンパターンですよね。 色の三原色があるように,これは心の三毒。 私たちの色々な感情は「無智」「貪り」「瞋恚(しんに)=怒り」の複雑なバリエーションなのです。 「寂しさ」もこのバリエーションのひとつ。 寂しさを埋めようとしても,寂しさはなかなか埋まらないですね。 怒りの根っ子が深いように,寂しさの根っ子も深い。 心は巨大なパズルです。 パズルが解けないのは私たちの思考回路がワンパターンから抜け出せないから。 抜け出すには「無智」→「貪り」→「瞋恚(しんに)=怒り」の流れを変えるしかない。 「無智」は,何が無智なのか分からないからどうしようもない。 私たちに出来るのは「貪り」をストップすること。 つまり求めるのを止め,引っ込めることから始めるしかない。 それにより貪りの裏にある嫌悪から生じる怒りが弱まり,心が波立たなくなることにより現象を正確に認識できるようになり,智慧が生じるようになります。 智慧,というのは物事をありのままに見る力。 一旦怒りや嫌悪の感情が生じると,私たちは無意識のうちに怒りや嫌悪の感情を正当化するための論理を組み立てようとします。 何故なら,一旦生じてしまった嫌悪や怒りを止めるのは苦しいからです。 感情に流され,慣性の法則に従うのが一番楽だから。 つまり,これが「屁理屈」や「言い訳」の構造。 貪れば貪るほど,求めれば求めるほどその裏側にある「瞋恚(しんに)=怒り」や「怒り」も増大します。 それにより,私たちの心は「屁理屈」「言い訳」の論理を何度も何度も自分に言い聞かせながらどんどん 「無智」に陥ってゆく。 「無智」「貪り」「瞋恚(しんに)=怒り」は独立したものではなく,ワンセットなんですね。 「寂しさ」というのは一種の愛情欲求の裏返し。 これは愛情に対する貪り,と言えるかもしれませんね。 でも,それを止めろと言ってもなかなか難しい。 愛さんだったら,きっとじっとしているのは堪えられないでしょう。(笑) だったら,徹底的に与えることを考えてみるしかないんじゃないかなぁ。 ただし,見返りを求めない。ちょっと難しいけどね。 でも,結果的にはこれこそが「寂しさ」を克服する道だと思う。 最も心が明るくなり,安定し,覚醒する早道。 愛情は求めても簡単に得られるものではありませんよね。 だいいち,自分が本当に求めている愛情の形がどんなものであるのかさえ私たちには分かってないのだから・・・・。 寂しくなって人と会ったのはいいけど,会ってしばらく話してるうちに 「なんか違うなぁ」とか 「退屈だなぁ」とか 感じて,自分で誘っておきながら「お先に!」と言って帰りたくなることってありませんか? 私はしょっちゅうです。(笑) それに,本当に会いたい人に会いたい時に会うのってほとんど不可能。 それを達成するのが「結婚」という形かもしれないけど・・・・。 でも,理想の人と結婚できるかどうかは別問題。 たとえ理想の人と結婚しても人の心は無常。 気が変わって嫌いになった時,簡単に離婚できないのもしんどい。(笑) 人の心って信用できない。 何故なら私は自分の心を全然信用してない。 最低なのは愛さんだけじゃぁない。私もサイテー。(笑) でも,自分のサイテーを自覚してるのは上等のサイテー(?)だと思うなぁ。 だからといってあまり自虐的になるのは良くないですよ。 人間は最高と普通と最低の寄せ集めです。それ以上でも以下でもない。 最高は最高として,普通は普通として,最低は最低として素直に自分を見詰めないと,最高の部分の愛さんまでが消えてしまいかねません。 それじゃああまりに最高の愛さんが可哀相です。(笑) 私が他人に逢うのは自分の心を知るための手掛かりを探すため。 自分を知るために人と会う。 そして,何を与えられるかを常に考えようとする。 これって意外と快感でラクチンですよ!(笑) 「利他主義は最高の利己主義である。」と誰かが言ってけど,私もそう思う。 頑張って浮上してくださいね。 説教オヤジでした。^_^; |