★ハッピーエンド(1)★ 三谷幸喜という脚本家を知ってますか?この人は今は休団となった劇団「東京サンシャインボーイズ」の脚本家で現在は主にTVドラマの脚本を書いてます。「王様のレストラン」「古畑任三郎」と言えば御存知かもしれませんね。 まぁ、私がこの人の脚本で最も好きなのはTV脚本デヴューの「振り返れば奴がいる」ですが・・・・。 三谷幸喜の脚本はそのほとんどがハッピー・エンドで終わるのですが「振り返れば奴がいる」だけはちょっと違ってます。 私はTVドラマのやたらと都合が良すぎるハッピー・エンドによくがっかりしますが、この人の「オンリー・ミー」というエッセイの中でTVドラマのハッピー・エンドについて書かれた一節を見つけてこの人の本音は「振り返れば奴がいる」に最も反映されてるのかもしれないなぁ、と思ったりもしました。 まぁ、最も反映されてるといっても作家という人種の性格はかなり分裂していて多面性があるので、50%もないかもしれないけど・・・。 と、いうことでその一節を紹介しましょう。 ****************************** 「輪廻」 最終回である。 テレビドラマの最終回で嫌なのが、いかにもこれで終わりですよ、といった感じで完結してしまうこと。主人公に降りかかったあらゆるトラブルが、最終回にはきれいさっぱり片付いてしまう。 しかし本当の人生はもちろんそんなものではないことくらい、皆さんもご存じのはず。実際は一つの災難が解決する時には、必ず別の災難が芽を吹いていて問題は後から後から押し寄せてくるのである。 一区切りつく瞬間なんてありゃしないのだ。 ****************************** 「はい、まったくもってそのとおりです。」などと、私は思ってしまいました。 宮部みゆき、という作家も「クロス・ファイア」という作品の中で言っている。 「幸せというのは、いつだって点なんです。なかなか線にはならない。」 下の(2)につづく・・・・ ↓ |
このボタンを押したら許さん! → |
★ハッピーエンド(2)★ ハッピー・エンドとアン・ハッピー・エンドの映画のどっちが好き?とアンケートを採ったらほとんどの人が「ハッピー・エンド」を選ぶだろうと思う。もちろん私もハッピー・エンドの方が好きだ。 でもあまりに出来過ぎたハッピー・エンドに納得出来ないことってありませんか?今はあまり使われなくなりましたが、以前はよく使われた「大団円」という言葉がありますが、(ある程度年輩の方は”懐かしい言葉だ!”と思うかも・・・)私はあれがどうも嘘臭く感じてしかたない。 ちなみに「大団円」を辞書で調べてみると <演劇・小説などで>すべてが丸くおさまる最後の場面。 と、あります。でも前回の三谷幸喜のエッセイを持ち出すまでもなく現実はドラマのように「カーーット!!はいお疲れさん!」では終わらない。生きてる限り”ドラマ”はつづいていきます。丸くおさまるのはほんの一瞬だけ、しばらくするとすぐに次の難関がやってくる。 TVの連続ドラマなんかで、私がつい笑ってしまうのは、特に恋愛ドラマはどうしていつも最後は決まって男か女のどちらかがニューヨークかロンドン。もしくはフランスに行ってしまうんでしょうねぇ。そのたびに「おいおい、またかよ!」と、しらけてしまう。そそうしなければ物語の決着がつかないのかなぁ。無理に決着をつけようとするから、それまで上がっていたテンションが一気に下がってしまう。最終回が面白いドラマには滅多にはお目にかからない。いっその事、プツン!と尻切れトンボに終わった方がまだマシである。それを”後味が悪い”と思うか!”余韻 ”と受け取るかは個人の勝手だ。 今は平穏無事の大団円でもそれは”たまたま今だけ”であってその先はどうなるか分からないわけですよね。彼が浮気するかもしれないし、彼女だってそれは分からない。飛行機が落ちるかもしれないし、地震で家がなくなるかもしれない。周りの状況って決して安定することってない。 結局、人の幸・不幸って周りの状況がどんなに変わっても、前向きに受けとめるだけの心の強さが、あるか、ないか、にかかっている。だって幸福を感じるのは”心”なんだから・・・。最終回になって主人公がアホのまんまで「よかった!よかった!」と喜んでるのを見ると「こいつ、また同じ事やってひどい目に会うぞ!」と思ってしまう。 ちなみに私の好きなハッピー・エンド・パターンは 〈第1話〉・・・・主人公の周りの環境、人間関係・・・・超・ハッピー 主人公の心・・・・・・・・・・・・・荒廃・悲惨・ボロボロ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 〈最終回〉・・・・主人公の周りの環境、人間関係・・・・ボロボロ・崩壊 主人公の心・・・・・・・・・・・・・超ハッピー です。(そんなドラマ観たことない?) 周りの環境や人間関係は色んな条件でコロコロと変化するのは当然の事。 でも、そんな外側の条件に心を惑わされず、淡々と未来の幸福の因を積み上げることができれば、更に言えば、積み上げる作業に喜びを感じることが出来るなら、その人は死ぬまで幸福でいられるんじゃないかなぁ。 (注)上の「BACK」ボタンを押した人・・・・・・怒ってないよね?・・・・(^_^;) |