エッセイ

8月4日(金)

盲信の方法・・・?


ここのところ、怒濤のカキコミが続いてる。

愛さん、正直モノUさん、愛明さん、大地さん。  ありがとう!
でも、みなさん、揃いも揃って コワイ カキコミばかり。(笑)
どんなレスを返したらいいものか、と悩んでたら、こんなに貯まってしまいました。^_^;

もう、あまり悩まずに(考えずに?)返事を書くことにしました。(笑)


ああ・・・・。  【投稿者】 愛   

こんにちはー。お久しぶりです。
やっとこさ家のパソコンをインターネットにつないだので、これからはいつでも来れます。どうぞ宜しく。

夏ですねえ。空がきれいです。
あたしは夏うまれなのですが、なにせ育ちが仙台なもので、東京の暑さにはめっきり弱いです。もうだいぶ慣れましたけど。

魂の落下・・・。
ふうん。
落ちてなんぼ、という考え方を否めないあたしにはちょっと腑に落ちないです。が、どうせ朦朧とした頭で読んでいるのできちんと
読み取れてないのでしょう。(死)

エッセイに仏教っぽいことが書いてありましたね。
関係ないですが、あたしは高校生のころからやたらと宗教に勧誘されることが多かったです。
そのせいか、昔は宗教に対する反発がすごくって、今でもその名残で路上でキリストの教えを高らかに読み上げる人々に、疑惑
の眼をむけてしまいます。
おまえら、救われた気になってんなよ。て。(暴)
宗教に対する気持ちは、でも、大人になるにつれてだいぶ変化しましてですね、それなりの敬意も払えるようになりました。
歴史、だと思うから。
そこに、あたしなんぞがとやかく口を出す資格などないのだと。いや、違うな、口を出す出さないはおいといて、それなりの敬意
は必要なのだと。
礼儀かな?
まあいいや。


夏休みです。
この間下北沢に行ってきました。若者っぽいでしょう。(笑)
最近私の中で第二次日本文学ブームが到来致しまして。
坂口安吾を読み漁る日々です。
三浦綾子はどうもだめでした。
遠藤周作はそんなに駄目じゃないと思います。まだそんなに読んでないからわかんないですけど。

安吾はだいすきです。
いづこへ、とか言っちゃうところが。(笑)

またきます。

【題名】 第一印象   

やっぱりな。ってかんじです。
あなたと、大ちゃんとの間に感じた一種の(もしかしたらものすごい)差。
微妙に、でも確実に。
第一印象って意外と役にたつのですね。



愛 さん、また来てくれたんですね。

私はとても嬉しい!!(笑)

やっとこさ家のパソコンをインターネットにつないだので、これからはいつでも来れます。どうぞ宜しく。

あらら、そうだったんですか?今まではどこから繋いでいたのかな?
よかったですね。いつでも、なんでも、書き込んで下さい。
でも・・・・・

夜型が拡張して朝になっちゃうっていう。。。。
ラジオ体操の音楽がいま外で流れてます。

・・・・と、なってしまうことが欠点といえば欠点です。(笑)

昔は宗教に対する反発がすごくって、今でもその名残で路上でキリストの教>>えを高らかに読み上げる人々に、疑惑の眼をむけてしまいます。
おまえら、救われた気になってんなよ。て。(暴)

とてもよく分かります。(笑)
私も以前は、宗教は大嫌いでしたから・・・。
私が物事を模索するようになった当初は、宗教からはうんと遠いところからでした。
で、あ〜だこ〜だ模索しつづけるうち ハッ! と気が付いたら、そこは「宗教」だった。(笑)

もしかすると、私は今でも「宗教」をあまり好きではないかもしれません。
その理由は、「宗教=盲信」というイメージがあるからだろうと思います。

もともと疑り深い私は「とりあえず信じる」ことしか出来ません。
そして、その姿勢を私はこれからも変えないだろうと思います。

ではなぜ「とりあえず信じる」のか?と言えば、それは
「信じる」ということをしなければ、行動を起こすことが出来ないからです。

つまり、私にとって「信じる」ことは、それが
「信じるに値するものであるかどうかを実践し、体験することによって確かめるため」
に必要なだけです。

宗教に対する気持ちは、でも、大人になるにつれてだいぶ変化しましてですね、それなりの敬意も払えるようになりました。歴史、だと思うから。

「敬意を払う」って言葉。いいなあ。(笑)
どんなものでも、まずは どん  と受け止める。
カッコイイです。
愛さんは心が強いんですね。

この間下北沢に行ってきました。若者っぽいでしょう。(笑)

私が若者のときは、「新宿」でした。
なにをしてたかと言えば、ディスコで遊び狂ってました。
大枚をはたいて一年間のフリーパス券まで買った。(笑)

最近私の中で第二次日本文学ブームが到来致しまして。
坂口安吾を読み漁る日々です。

読んだことないなぁ。
私が最も敬遠してた部類の作家かもしれない。(笑)

三浦綾子はどうもだめでした。

好きです。(^_^;)
大体の作品は読んだかなあ。

遠藤周作はそんなに駄目じゃないと思います。
まだそんなに読んでないからわかんないですけど。

軽いエッセイはかなり読んだような気がします。
けれども、どことなくズレてるような気がして、彼の純文学作品にまで
手をのばす気にはなれませんでした。

なんだか、愛さんとはことごとく「好み」が正反対みたいだ。(笑)

第一印象って意外と役にたつのですね。

「第一印象」、というのはあとで考えてみると、「やっぱり」ってところがありますね。
「直感」の方が正確ってことなのかもしれませんね。

またきます。

ホントですか?嬉しいなぁ。
このレスを読んでも来てくれますよね。

なんか不安だ。^_^;

絶対ですよ。
指切り!!(笑)
お久しぶりです。  【投稿者】 愛明 

きたろーさん、お久しぶり!日記とか、エッセイとか読ませてもらいましたよ。ゆっくりと。なるほど、あなたという5?歳の方がだ
した一つの光、だ。私は、あなたを素直に認めるしかないようです。いつか、互いの信頼、尊敬につながると、いいですね。

これからも、頑張ってください。

リンクは、もう時期します(笑)

どうも、不精者なので、ご勘弁。

【題名】 連続失礼!(笑)   

エッセイで一つ気になることがありました。このまま黙っているのも気分が悪いのでスカッとさせることにしましょう(笑)こういっ
た、相互の意見交換が、相互の関係を深めるものと信じる事にします(笑)

迷宮からの脱出2をよみましたよ!仏教の教えのところなど、「知的」には、面白く読むことができました。

しかし、あれを読んでいたら、私の直感の部分がどこか、ストップを出しているのです。

よくよく考えてみたら、>「真我」という言葉にひっかかっているんですね。うん、まぁ、この言葉が一番議論を呼ぶ焦点である事
は間違い無いわけで、結構俺も恥ずかしながら書いていますよ、今(笑)

「真我」、ですか。

いや、やっぱり今日は書きこむの辞めます(笑)
もう少し、考えを熟成させたいので。

それまでに、なにか、その「真我」を中心としたキタローさんの考えが、ふと心にうかんだなら、エッセイ4を期待していますよ。

うん。

では、また明日(笑)

しばらく、毎日様子を見ようかと。

更新、頑張ってね♪


愛明さんのHP

愛明 さん、こんにちは! 

きたろーさん、お久しぶり!日記とか、エッセイとか読ませてもらいましたよ。ゆっくりと。なるほど、あなたという5?歳の方がだした一つの光、だ。私は、あなたを素直に認めるしかないようです。いつか、互いの信頼、尊敬につながると、いいですね。

愛明さん、ありがとう!
可愛い女の子からのラブレターよりも嬉しい!(笑)(←笑ってるけどマジです)

あ、それから訂正があります。
私は現在 47歳 です。(笑)

エッセイで一つ気になることがありました。
このまま黙っているのも気分が悪いのでスカッとさせることにしましょう(笑)

おおっ!なんだか コワイ !・・・(緊張!)

いや、やっぱり今日は書きこむの辞めます(笑)

ガラガラ、ガッシャーン!・・・←椅子から転げ落ちる音。

愛明さんて、意外とお茶目だ。(笑)

リンクはのんびりやってください。
私も不精者なのでちょっと安心しました。(笑)

よくよく考えてみたら、>「真我」という言葉にひっかかっているんですね。

確かに「真我」の存在を認めるかどうかは大きなポイントですね。
「カオス論」と「因果論」の別れ目もここにあるかもしれません。

エッセイ4を期待していますよ。

「迷宮からの脱出3」を書いたのは 1月27日。

ゲッ!半年以上も 間 が空いてる!^_^
いくらなんでも、サボり過ぎですね。
了解しました。8月中に仕上げることにします。;

もう少し待って下さいね。

「真我」に関してのエッセイですか。
うーーむ!むずかしそうだ。(笑)

私が、以前にアタマの中の、片時も止まることのない「オシャベリ」や「自問自答」に苦しんだのは
「はじめ」にも書いた通りですが、それまで、私には「心をみつめる」ということが、どういうことなのか全く理解できませんでした。

心を「止める」ことが出来なければ心を「みつめる」ことは出来ませんよね。

ところが、ある日を境にして パタッ と心が静まりました。

一体、それがいつだったのか、どうしてなのか、自分でもよく覚えてない。(笑)
おぼろげながらですが、多分 「ああ、スゴイ!」 とか 「なんて楽なんだろう」 とか、そんな事を思ったような気がします。
アタマのフル回転状態から解放されて、私はとにかく嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
同時に心の中にある色んな 痼り(しこり) も溶けていって、身体的な不調もなくなりました。
しばらくの間、心がシーンとして「考えない」状態の至福に酔っていましたね。

その日を境にして、私はあれほど好きだった本を読まなくなりました。
新しい観念を取り入れることは、新しい疑問を増やすだけだとしか思えなかったからです。
曖昧なものしか与えない本に恐怖さえ感じました。
「書籍恐怖症」とでも言うのだろうか?(笑)

「本」や「言葉」の中に答えを見つけるのはやめよう、と。
それよりも心をみつめることによって、心の奥底から自然に立ち上がってくる、感情や言葉になる以前
原初的な「感覚」の中にこそ、ほんとうの答えがある!と直感しました。

「人間の心や身体はひとつの小宇宙だ。」という言葉がありますが、その宇宙を動かしている「」の部分に意識を合わせることで答えが見つかるのではないか?と思ったのです。

ヨーガ教典の中に「真我」の記述を見つけたとき、私がすんなり受け入れることが出来たのはそういうわけです。
つまり、私が答えを見つけるために、お伺いを立てていた(笑) 「核」 が 「真我」 だったのだ、と。

あ、それから、大地さんの「論理と力」の中に

わたしにとっての論理は自分の直感を自分に納得させるためにある。

という一節がありますが、この部分は珍しく私と ピッタリ同じ!(笑)

いつでも、私を深く納得させてくれたのは、言葉でも論理でもなく、「直感」でした。
そして、原始仏教やヨーガの経典では、この「直感」を 『真我のオーダー』として捉えています。

最後に、私と同じく「仏教」や「ヨーガ」を信じてる hanna さん の
真我の存在を信じられるのは、どんな時ですか?
と、いう質問に対する解答を紹介しましょう。
真我について  【投稿者】 yukino&hanna 

 は〜い、ご注文の品、お届けにあがりました!
教義上じゃなくって、日頃真我を感じるときね。
これってホント、本能的直感としか言いようがないなあ。

1.時々、朝起き立てのとき。
 自分を社会的条件(役割?)(国籍・性別・年齢・職業 など)を全て取っ払ったただの自分として感知する。
 外的条件を忘れていて、自分と他のりんかくがおぼろげ
 。で、しばらくするといろんなことを思い出す。そして 昨日の続きを生きるんだな・・・
(前は「やれやれ、ま たこの世界かぁ。」って感じで、ツラかったけど、今は 否定も肯定もない)。

2.何だかわからないけど、心のどこか奥深くで喜んでいる とき。
 その喜びのあまりの深さに自分でもビックリしている。
 外側の自分は別に淡々としているんだけど、何故だか心 の奥底で喜びが湧き上がっているのを静かに見つめてい るとき。

ところで、人それぞれ違うんだから、
同じ仏教を学んでいても、私もキタローさんも一長一短で、全然違うでしょ?
実践する段階で細かい部分のレヴェルが違うんだよね。
同じ本読んで、その感想を表現するのに一人一人違うのと一緒かな?
自分の認識の中でしか生きられないから、
シェアできる部分はしたらいいと思う。

キタローさん、こんなとこでどう?
自分のHPだとカタくなっちゃって。
ご依頼アリガト。

http://www.hello.co.jp/~yesnono/

少しは、理解の助けになったでしょうか?

え?ますます分からなくなった?(笑)

実は、この後、「大地さん」と「正直モノUさん」のレスが続く 予定 だったのですが・・・・

あまりに長すぎると、読んでてイヤになりません?

・・・と、いうわけで つづき は 明日 にします。(笑)

大地さん、そして、正直モノUさん 。ちょっと、待ってネ!

ところで、正直モノUさん の代理って 穴あけパンチ さん だったんですね。

はじめまして!よろしく おてやわらかに (笑) おねがいします。m(_ _)m

では、明日!(^.^)/~~~

8月6日(日)

非科学的な信仰

ややや!マズイ!日曜の朝になってしまった。

土曜日に更新の予定だったのに・・・・・

大地さん、正直モノUさん、ごめんなさい。m(_ _)m

もう、みんな寝てるだろうなぁ・・・・^_^;

早速いってみましょう。まずは 大地 さんから・・・・・


キタローさんの文章。  【投稿者】 大地   

って、俺は本当に尊敬してます。
「考える」根っこの強靱さを感じます。



ただ、それでも。  【投稿者】 大地   

俺は、「反因果論」を唱えます。
今、頭の中でまとめています。


おそらく・・・・・  【投稿者】 大地  【投稿日】2000/07/31/(月) 午前07:14:38 

徹底的なことになってしまいます。
たぶん、キタローさんと、私の考え方のぶつかりは。
あぁ、これこそ、真の「連帯」ではないでしょうか?

因果論に一言。
因果論も、科学も、その根元としての前提は
なんらはっきりしない「非科学」的な「信仰」です。
ある規定する超越したなにかが、「いるのでなければならない」
ことを、前提としています。
結果は、原因を粉砕します。
結果を知っていなければ、誰も原因を辿れません。
アプリオリな原因から、結果は導くことってできますか?

いやでも、  【投稿者】 大地 

アプローチの違いって、おもろいっすね。
本当に、尊敬してますよ。キタローさんのことは。
俺、うれしいんすよ。

http://www.hat.hi-ho.ne.jp/beatnik/



徹底的なことになってしまいます。
たぶん、キタローさんと、私の考え方のぶつかりは。


まちがいなく、そうなるでしょうね。

あぁ、これこそ、真の「連帯」ではないでしょうか?

同感!

因果論も、科学も、その根元としての前提は
なんらはっきりしない「非科学」的な「信仰」です。
ある規定する超越したなにかが、「いるのでなければならない」
ことを、前提としています。

そのとおりです。

結果は、原因を粉砕します。
結果を知っていなければ、誰も原因を辿れません。

うーむ!ちょっと言葉の意味が理解できません。(アタマが悪いだけ?^_^;)
結果は、原因を粉砕する?
私の中で、原因と結果はワンセットなのです。

大地さんのいう「結果」とはなんでしょうか?
この、「自分」を含む現実の世界のことですか?
それとも、他のなにかを指しているのでしょうか?

もし、大地さんのいう「結果」=「現実の世界」としても、
私の中では、原因は粉砕しません。
いや、粉砕しないと「信じてる」ですね。

私は、この「現実世界」を「結果」として見ています。
そして、「現実の世界」の中にある「一定の法則性」を見い出すことによって「原因」を探っています。

アプリオリな原因から、結果は導くことってできますか?

「アプリオリ」という意味が分からなかったので、辞書で調べました。(笑)

哲学用語なんですね。

●先天的
●経験の媒介を必要としない自明の真理。
●人間の性質や能力など、生まれる前からそなわっているものをいう。

と、なっていますが、大地さんの「アプリオリ」が
三つのうちのどれを指しているのか分かりません。

そこで、とりあえず、「自明の真理」と仮定して(?)話を進めます。(笑)

「自明の真理」を体系化すれば、結果を導くことは出来る、と思います。

たとえば、私たちは生まれ、そして死ぬ。
その途上で病気になったり、老いる。
これは、自明の真理ですよね。

人生は総じて「苦」である、という思想は仏教の根幹をなすものですが、つまり「生・老・病・死」ですね。

例えば、原始仏教では苦しみのパターンは三つある、と言われています。

一、痛みとか、心の苦悩、といった本質的な苦しみ。
一、求めても得ることが出来ない苦しみ。
一、得ていたものが、壊れる苦しみ。

そして、これ以外の苦しみのパターンは存在しない。といわれています。

ところが、「自明の真理」というのは、なかなか「自明にならない」のが現状ではないでしょうか?

たとえば・・・・「わかっちゃいるけどやめられない」
たとえば・・・・「言われるてみれば分かるけど、言われるまで分からない」

自明の真理、というのは「コロンブスの卵」みたいですね。(笑)

答えを知ってしまえば  「なぁ〜んだ!そんなことか」  だったりします。
では、なぜ、「それ」を気が付くことが出来ないのでしょうか?
それは、私たちの中に、「それ」を「自動回避」する思考回路が出来上がっているからではないでしょうか?。
では、その「自動回避」させる最大のキーワードとはなんでしょうか?それは

「楽しみだけを求め、楽しむことによって同時に生起する苦しみを見ない」

ことだと思う。
 「楽しみと苦しみはワンセット」であることに、思いが至らないからではないでしょうか?

たとえば仏教でいうところの『悟り』というのは、なにも荒唐無稽なことを「悟る」わけではありません。
ただ単に、当たり前のことを当たり前に実感出来るようになるだけです。
私たちの日常の中でも、小さな悟りはいくらでもありますよね。
苦しい状態から抜け出して、振り返って
「どうして、あんなことに囚われていたんだろう?」
という経験は誰でもあると思う。

仏教でいうところの「解脱」や「悟り」というのは、つまり深い意識レベルで「当たり前の認識」をすることです。

・・・とはいうものの、「アプリオリ」の前提が間違ってれば、的ハズレの回答になるなぁ。
大地さんの文章は、私にとっては難解です。(笑)

多分、私は質問の意味が分かってないです。^_^;

本当に、尊敬してますよ。キタローさんのことは。
俺、うれしいんすよ。

「尊敬」なんてされると、私はうろたえてしまう。^_^;
でも、木に登りたくなるくらい嬉しい!(笑)
ありがとう!

アプローチの違いって、おもろいっすね。

最高です!(^_^)v

意見の違いというのは、自分の認識の幅を広げてくれますね。
話し合うことが何故楽しいのか、といえば、それは
お互いが持っている認識不足の「穴凹」を埋められるからですよね。

できましたら、大地さんの「質問の意味」を解説して戴きたいのですが・・・・^_^;

いくら、考えても分からない。(笑)



あくまで一説ですが、  【投稿者】 正直モノU 
【投稿日】2000/07/31/(月) 午後02:35:26

老人が朝型人間になるのは、体力が無いせいであるとうちの姉が申しておりました。
人間って実は眠るのにも体力が必要で、だから、ご老体の方々は眠るだけの体力があんまりもう無いので長い時間眠りつづけることが出来ず、結局朝早く起きることになるのです。夜眠る時間がはやいのは、おきているだけの体力も無いから横になるのです。

ある本によると、人間は老人の時が一番夢を見ている時間が長いそうです。

わたしは夢に大変興味があるので、とっても羨ましいと思うばかり。
「夢と知りせばさめざらましを・・・」



正直モノUさん、こんにちは!(^_^)v  (今は 穴あけパンチさん ですね。)

眠るのにも体力が必要

これって、一般の人からみると「新説」ですよね。
私の友人も同じことを言ってました。

そして、私も同じ意見です。

正直モノUさんのお姉さんとは気が合いそうだ!(笑)

一般的に、眠ることによって「疲れがとれる」とか「体力が回復する」というイメージがありますね。
でも、もしそうなら「寝たきり老人」がいつまでたっても元気にならないのは、おかしい。(笑)

人間の心と身体が最高のコンディションで機能するためには、適度の運動が必要になります。
自動車だって、一週間に一回しか走らないより、毎日一定の距離を走る自動車の方が故障も少ないし、長持ちしますよね?
心と身体は連動しています。
私は気分が落ちこんだときは、無理にでも表に飛び出して、早足で2〜3キロ歩きまわりる。(笑)
すると、あ〜ら不思議!
「なんで落ちこんでたんだっけ?」
という気分になる。

「疲れ」というのは、二種類あると思います。
つまり、辛い仕事をしたあとの「疲れ」と、休日に行楽に出かけて、帰って来た時のいわゆる「遊び疲れ」。
このふたつの「疲れ」というのは全く違うと私は思うのです。

仕事の「疲れ」は眠れば回復するけど、「遊び疲れ」は眠りではなかなか回復しない。
片方はストレスを溜めた「疲れ」。片方はストレスを発散した「疲れ」。
このふたつの「疲れ」を同列に考えるのは大きな間違いだ、と私は思う。

そして、私たちを本当の意味で疲れさせ消耗させているのは
ストレス発散の「疲れ」のような気がするのです。

適度な運動は「疲れる」けど、結果的に「疲れをとる」ことが出来る。

宝島社の本で「病院に殺される!」という本がありますが、病院に入ることで、病気がひどくなる話はよく聞きますね。
これは、ひとつには、「眠り」に対する間違った認識と、心と身体を切り離した「絶対安静」に対する根拠のない「信仰」が背景にあるような気がするのです。

今の医療や病院は西洋医学が中心となっていますね。
しかし、西洋医学は片手落ちの医学です。
西洋医学は、確かに検査とか外科的な治療にはその真価を発揮するけど、慢性的な病に対しては全くと言っていいほど無力です。
その原因になっているのは、西洋医学が人間の精神と肉体を別個に考えてるためですね。
激しい症状を一時的に抑える対症療法だけでは、なんの解決にもならず、薬に対する依存と副作用でズルズルと病は悪化の一途を辿る。

私は、現在入院していている「絶対安静」の患者の中には、適度な運動をさせることで著しく回復に向かう人が、たくさんいるような気がしてならないのです。

まあ、病院の問題はその他に製薬会社との癒着であるとか、保険制度の問題とか色々ありますよね。
病院といえども、儲からないことには経営を維持できないしね。

あらら、話がズレてしまった。(笑)

夢に関心があるなら、この掲示板がおすすめ!
なかなか面白いですよ!

正直モノさんは、夢見はいいほうですか?

ヨーガでは、この現実世界に対する囚われの少ない人ほど、夢は鮮明になる、と言われてます。
私の経験からすると、遊び過ぎると夢は不鮮明になり、悪夢が増えますね。
辛い出来事があると、鮮明になり良い夢を見ることが多い。
以前つきあっていた友人は(今は絶交状態・・(^_^;)・・)眠りに就いて、夢の世界に入っていくプロセスを全て覚えてる人がいました。
彼の表現を借りれば
「夢の世界が向こうから迫ってくる」
のだそうです。

私はあまり夢を覚えてません。
きっと、とらわれが多いんでしょうねぇ。^_^;



修理に出します。  【投稿者】 正直モノU 

あることがキッカケで修理に出すことになりました。
CPUが おかしいのです。

わたくしは炭酸飲料が嫌いです。正確には体質に合わないのです。
飲めば必ず次の日はお腹をこわします。
そんな私ですが、メロンソーダだけは譲れないのです。
大好きなのです。
どんなにお腹の調子が悪くても、悪くなると分かっていても、あれば必ず飲んでしまうので
す。どうしたものでしょう。やっぱり壊れているのです。
しばらく治療します。
代わりのものを派遣しますのでよろしくお願いします。
さらばじゃー



あらら、壊れちゃいましたか?

代わりのものの 穴あけパンチさん、はじめまして!(笑)

炭酸飲料は、近づかない方が無難です。
炭酸飲料が合わない体質って、私はすごく正常な体質だと思う。(笑)
身体にとって毒になるものが好きなのって、身体の方がおかしいんですよね。

まあ、私も好きな「毒」がたくさんある。
案の定、あっちこっちおかしい!(笑)

メロンソーダが好きですか?

実は私も「ラムネ」を衝動的に飲んでしまった。(笑)
味が好き、というより「ノスタルジー」で、飲んだ、って感じかなぁ?
思い出を飲んでるみたいな・・・・

正直モノUさんは、メロンソーダにまつわる「甘酸っぱい思い出」があるのかな?(笑)

音楽でもありますよね、こういうの。
その曲(歌謡曲、とか・・)そのものが好きなわけじゃないけど、その曲が流行っていたころ好きだった彼女(彼)にフラレタ、とか・・・(笑)
これは、音楽や味に対する執着と想い出に対する執着がミックスになっているのですね。
でも、想い出に浸る、って後ろ向きでイヤですね。
私は、ヨボヨボの爺さんになっても
「あの頃は、よかったなぁ」
なんてことは言いたくないなぁ。
死ぬ時は、前のめりに死にたい。(← 坂本竜馬みたい?)

来世を信じてれば、死ぬ直前まで前向きでいられるかもね。(笑)

メロンソーダを飲まない方法ですか?
難問だなぁ。(笑)

まずは、近づかないこと。(なんの解決にもなってない?)
あとは、ひたすらメロンソーダでひどい目にあったことを、メロンソーダを見た途端、「メロンソーダ」→「苦しい」の思考回路が“開通”するまでひたすらイメージ続ける。(笑)
まあ、自己洗脳ですな。

でも、正直モノUさんにとってメロンソーダは「麻薬」ですから、楽してやめるのは無理でしょう。(おいおい・・・^_^;・・)

でも、自己洗脳はけっこう効くかもよ!

ところで、復帰の予定はいつ頃ですか?

あーー!なんだか、どうでもいいようなことを、ダラダラダラダラ・・・書いてしまった。
次からは、短編にしよう。

ここまで、読んでくれた人。
お疲れさまでした。
貴方は、忍耐の人です。(笑)

8月7日(月)午前3時を過ぎたら翌日扱い・・それともキッチリ零時にするか?(笑)

エラソーなオヤジ

このところ、掲示板に、ムズカシイ書き込みが多い。

読みながら、必死で頭をひねるんだけど、わからない。^_^;

どうも、私の頭は自分で思っているより、かなり単純にできてるようだ。

自分の心の闇の深さを実感します。

hanna さんの言うとおり、頭の整理をつけるため、基本に戻る意味でも、半年以上中断してる
「迷宮脱出の法則」 の エッセイを、そろそろ再開した方がよさそうだ。
「迷宮」のになる エッセイ が、あんなに貧弱では読んでる方だって、
「あんた、結局ナニを言いたいの?」ってなりますよね。

このままだと、的外れのレスばかりをしそうで、コワイ。(笑)
というより、多分これまでもたくさんの「見当違いレス」をしてきたんだろうなぁ。

エラソーに質問に答えるような器じゃない、ということがよーくわかりました。

つまり、愛さんが最初に直感した 「エラソーなオヤジ!」 は正しかった。(笑)

よーーし!頑張るぞぉ!

いつの日か、エラソーに質問に答えるために。(笑)

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8月11日(木)

無思考の至福

明日から、しばらく夏休みです。

福岡(博多)に帰省します。

よって、「迷宮」もしばらくお休み。

戻ってくるのが、何時になるのかは未定。(笑)

今日は、掲示板のカキコへのレスを元に、サラリ と( ゴジラさん方式← うちわネタ)いきます。(笑)



なるほど。  【投稿者】 愛明 【投稿日】2000/08/05/(土) 午前12:40:45

 
HANNAさん、キタローさんレスサンキュー♪

なるほど、たしかに漠然と「真我」の気持ちはわかりました。ただ、恐らくすごく感情的な部分、であるという事は間違い無いみたいですね。うん。HANNAさんが自らかかれた>本能的直感<という事でしょうか。

いや、これを例えば真我、と呼ぶのであれば、俺もその存在を否定できません。何故なら、俺も時として奥深い場所からの「喜び」を感じる事があるので。

しかし、その真我、というものも、恐らく心、という殻の内側にあるものですよね。

また、心、というものは、物質的、観念的という物によって構成されいる、というのはほぼ確実のように思われます。

俺のいう「己」とは、もっと大きな殻、つまり、俺がここにいる、という瞬間です。ここにいるという「自覚」の中に、心があって、そこにまた悲しみ、喜びがある。

そして、俺が例えば「己」の「必然性」を科学的に求めるとすれば、「今ここにいる自分」というものをどうやって説明するか、です。俺の存在を「必然である」と説明しうるでしょうか・・・。

私は個人として、やはり「己」というものはもとより偶然なのでは?と考えざるを得ません。

しかし、例えば、「私がここにいる!」という必然性を、信じる事自体には、私はなにも口を挟むことは無いでしょう。

何故かといえば、そうやって信じることは、はかない存在である自分を唯一守れるものであると思うからです。

それを、俺の言葉の中では、「あきらめの思想」と名づけております。

思考型人間の、唯一の安息の場ですね(笑)

「あきらめ」という言葉は(笑)

いやいや、これになにかあればレスをお願いします。

また、かなりわかり難く書いてしまったので、なにか質問があればお答えします!




愛明さん、こんにちは!

そして、俺が例えば「己」の「必然性」を科学的に求めるとすれば、 「今ここにいる自分」というものをどうやって説明するか、です。俺の存在を「必然である」と説明しうるでしょ うか・・・。

うーむ!
「存在」そのものを説明しろ!と言われても私には説明できません。
「真我」がどうして存在するの?と言われれば
「存在してしまったものは、しょーがない。」としか答えられない。(笑)

ただし、「人間としての存在」であるなら、「真我」を基点とする「輪廻」という考え方を前提にすれば説明できる、と私は考えています。
これ以外の考え方で説明するのは不可能だと思います。

「人間としての存在」に対する説明は、哲学などが命題として幾度となく取り上げて来たものですが、すべての「説明」は暗礁に乗り上げてしまってることからも明らかではないでしょうか。

私は今のところ、原始仏教やヨーガの「説明」以上に納得できるものを知りません。
そして、時間が経てば経つほど私の中の確信は深まりつつあります。

しかし、大地さんは何処に行ってしまったのでしょう?

なんか、すこし心配だなぁ。



ぬおうおう!!!(感嘆)  【投稿者】 愛明 【投稿日】2000/08/05/(土) 午前02:03:02

 キタローさん!読んだよ!日記!その中で、キタローさんの言葉に一つ、すごく心に残る記述がありました。

一体、それがいつだったのか、どうしてなのか、自分でもよく覚えてない。(笑)
おぼろげながらですが、多分 「ああ、スゴイ!」 とか 「なんて楽なんだろう」 とか、そんな事を思ったような気がします。
アタマのフル回転状態から解放されて、私はとにかく嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
同時に心の中にある色んな 痼り(しこり) も溶けていって、身体的な不調もなくなりまし
た。
しばらくの間、心がシーンとして「考えない」状態の至福に酔っていましたね。



この言葉、ってすごく俺は意味があると思う。うん。
ある日、そういう時が、来る。

いや、実は、俺もこういう状態をひそかに想定しているのです。

しかし、それは安易にはやってこない。つまり、下にも書いたのですが、それは「あきらめ」という形で現れるのではないか?と言う事です。

いや、実際、俺がこの先生きていく中で、ひょっとして「あきらめ」という形で心の平穏がやってくるかもしれない。

キタローさんは、本当に「ある日、ふと」この事に気付いたのですか?

それは「あきらめ」に近い形では無かったですか?

俺は、その事にすごく興味がある!ゆっくりでもいいから、レスを待ってます!

では!



「あきらめ」と言われれば確かに「あきらめ」だったかもしれません。
つまり、自分のアタマで考えることを「あきらめ」た。

たとえば、私たちは別に意識しなくても、心臓を動かすことが出来る。
ものを見ることが出来る。まばたきも自動的に(?)起こる。
ものを食べれば勝手に唾液は出るし、胃腸も勝手に動いてくれる。

だとしたら、この「小宇宙」の人間の身体機能を司る「核」となるものに意識を合わせれば、無理をして考えなくとも、私たちが知りたいことは自動的に(?)分かるのではないか?と思いましたね。

「あきらめ」とも言えるし
「全てをまかせる」とも言えるし
「祈る」と言ってもいいかもしれない。

キタローさんは、本当に「ある日、ふと」この事に気付いたのですか ?

本当です。

それも、ある日突然、仕事をしてる時に・・・・。

「あれ?なんか違うぞ!」

って、感じだったかなぁ。

決して、「徐々に・・・」 ではなく 「突然」 だったことは間違いありません。



大ちゃんのこと  【投稿者】  【投稿日】2000/08/07/(月) 午前01:17:27 大ちゃんの言いたかったこと、あたしは、(勘違いかもしれないけど)わかるような気がする。

結果の前に、原因はこない、ということでしょう?
だっていつも、原因を考える時、「結果」を目の前にしてはじめて「ああ、こうこうこういうわけだから、こうなったのねぇ」と納得するわけで。
結局、物事が起こってからでなければそうなった経歴、原因は分からない、ということではないのでしょうか?
「アプリオリな原因から結果を導く」ことは出来ない。
この「アプリオリ」、あたしは「先天的」のほうの意味でとってしまったのですが。
人間は物事に原因、というか理由、を求めたがる動物だと思います。
だって、好きな人に(しかも脈ありだと確信していた相手)に告白してふられてからでしかふられた原因ってわからないもの。
ん、今のたとえは少しズレテルけど(笑)。
違うかなあ、大ちゃん?



好きな人に(しかも脈ありだと確信していた相手)に告白してふられ てからでしかふられた原因ってわからないもの。 ん、今のたとえは少しズレテルけど(笑)。

あはは! 確かにちょっとズレテルような気が・・・^_^;
けれども、違う意味でとても 核心 を突いてるような気もします。

それにしても、体験談 は説得力あるなぁ。(笑)

多分、「原因がわからない」ではなく、楽しい時は原因を考えないんですよね。
原因を考えなくても、なんの不都合もないわけだし・・・。
人間は、基本的に 「楽しければ、それでいいじゃん!」 なのです。(もちろん、私も・・^_^;・・)

でも、個人的な楽しみは大抵の場合、他者の苦しみを土台にしてるから、いつまでも長続きはしませんよね。
物理的に(?)考えても、楽しみの総量と苦しみの総量は一定ですから。



貴方の心に穴をあけます。  【投稿者】 穴あけパンチ   

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空を見上げると見えるもの?それとも雪?



穴あけパンチさん、はじめまして!(^_^)v

貴方の心に穴をあけます。

是非、穴をあけてください。(笑)
穴の向こうに光が見えるといいなぁ。

穴あけパンチさんは、きっとユニークなカキコミをしてくれそうだ。(笑)
これからも、よろしくね!
ところで、正直モノU さんとは、どのような関係?
 
まさか、お姉様?(笑)


さて、博多に帰省しても、別に用事があるわけではない。
きっとヒマしてるので、メールください。(あまりムズカシクナイやつを・・(笑)・・)

返事は必ず書きます。

メールアドレスは2つあります。

一つは通常のメール・アドレス
一つは携帯電話(J-PHONE)のアドレス。(改行なしで 200字 まで)

メール、待ってますよ!

では、とりあえず。

サラバ!