「迷路からの脱出」などと大上段に振りかぶってはみたものの、私の中にどれほど他人様を迷宮から引っ張り出す力があるか、正直言って心もとない。
何故なら、私も未だに迷宮の中にいるからだ。
(なんだ?そりゃ!じゃ、やーめたっ!っと、他のHPに飛んでいかないでね・・・(^_^;)・・・)
しかし、それでも以前より、少しは物事を俯瞰して捉えることは出来るようになったんじゃないかなぁ。心を止めて、みつめることが出来るようになった。特に高校を卒業して、その後の10年間の精神状態は、今思い返してもゾッ!とする。
何時だって頭の中はフル回転で自問自答を繰り返していて、止まることがなかった。もう、「うるさーーーいっ!!しゃべるな!」って叫びたかった。そんな状態だったから「心をみつめる」という言葉は知っていても、それが、どういう心の状態を指すのか理解できなかった。
その頃の私は、本当の意味で「生きる」とはどういう事なのか?どんな生き方をすればいいのか?真理とは何か、といったようなこばかりを考えていて袋小路に入り込んでいた。(誰だって、学生の頃は考えますよね?それとも今の学生は考えないのかなぁ?いずれにしろ、私の場合は特にしつこかった・・・(笑)・・・・)
疑問の答えを捜すことに心が囚われて一瞬も心が止まらないのです。
その答えが見つからない状態のままで、どうして前に踏み出せるだろう。
もし最初の一歩を間違った方向に踏み出したら取り返しがつかなくなるんじゃないかって凄く怖かった。
人生論を読み、哲学を噛り、文学に答えを求め・・・・・・しかし答えは見つからない。それどころか、捜せば捜すほど本当の答えから遠ざかっていくようだった。一体、どうして答えが見つからないのか不思議で仕方なかった。
周りの友人は「おまえなぁ、考えすぎだよ!」とさんざん言われたが納得出来ないものは納得出来ないから仕方がない。疑問は疑問を呼び、増殖して絡まり合ってしこりになる。思考がその”しこり”の中で出口を求めるものの、グルグル空回りするだけで一向に出口が見つからない。そんな時は、発狂した哲学者や思想家、自殺した文学者を思っては「私は決して死ぬまで真理に辿り着くことは出来ないだろう」という、絶望感と恐怖感が混じり合った思いに襲われた。
かつての私のように苦しんでいる人はきっと少なくはないだろう。しかし、最初に書いたように、私にどこまでそんな人達の力になれるかは全く自信がない。(だったら、こんなHPつくるな?・・・(^^;ゞ・・)
私は心理カウンセラーでもなければ、まして宗教の教祖でもない。しかし、がんじがらめに縛られて固結びになっている観念の糸を少しだけほぐすぐらいは出来るかもしれない、と考えている。その作業には膨大な時間がかかるだろう。私一人の力では手に余る作業だ。
このHPを見ている皆さんと一緒に迷路の出口に向かって歩いていけたら・・・・と考えています。
・・・・・と、まぁ、ちょっと堅苦しくなってしまいましたが、まぁテキトーに肩の力を抜いて・・・・・とは言っても、どうせ本文を見ればそのあまりの軽さにズッコケルこと必至!いえいえ、けっしてカルイ訳ではなくて”ほぐしてる”のだ!・・・・・(^_^;)
是非、皆さんの”迷宮脱出体験談”や、あなたの抱えている”迷宮”
、その他、迷宮脱出のヒントになるようなエッセイなどもお寄せ下さい。