2月3日(木) アッという間に2月になってしまいました。(笑) さて、掲示板の予告(?)どおり「アカデミー賞・・・」は決着がつきません。 書けば書くほど自分自身が未だに「迷宮」の、ど真ん中にいることを自覚させられました。(^^;) 今日はリンク集に、いつも「掲示板」を明るく賑わしてくれるかもめさんのHP かもめのみなと を追加。 そしてもうひとつ、私の姉御的存在(笑)の p−moonさん のHP を追加しました。 そして、ゴジラさんにも ワンポイント追加!(笑) p−moonさんのHPについては、お気付きになるかもしれませんが 投稿エッセイ2編はp−moonさんの好意により転載させて戴きました。 この度、晴れて「リンクをしてもよろしい!」とお許しが出ました。(笑) そして、とうとう「迷宮」に入り込んでしまった 「アカデミー賞は嫌いだPART3」です。(;^_^A ・・・・ |
2月3日(木)PART2 戦争映画を観ること またまた手抜きの日記です。(^^;) ゴジラさんのカキコミを元に、いってみよ〜〜〜!!(笑) |
【投稿者】 ゴジラ 【投稿日】2000/02/03/(木)
午後12:18:03 キタロー様、日記を拝見いたしました。 第3ラウンド、カーン!すきのあるキタローさんにカラテチョップ! おっと、私は悪役でした(^^;。 はっきり言って、私は戦争映画が好きで、よく見ました。特に太平洋戦争物を(^^)。 今のアメリカのバタ臭いものは嫌いです。小説で言うと五味川純平氏の「戦争と人間」やノンフィクションで言うと「聞けわだつみの声」でしょうか。 ロシア人も日本人も個人的にはいい人なんですが、国家の利権や政策にほんろうされて、戦争に巻き込まれていきます。そこには個人の意志や考えはありません。 この歴史の一場面における人間のけなげさ、いじらしさ、むなしさが戦争で最もはっきりするように思います。だから戦争は人生の典型的な縮図のような気がします。 ひょっとすると、今も企業戦争や交通戦争という戦争中なのかも知れませんね(^^;。 |
今回、キタローはゴジラの奇襲空手チョップ攻撃(?)にあえなくダウン!
へたな反撃をしようものなら、火炎放射でトドメを刺されるに違いない。(^^;) 提供 やっしゃんのフリー素材集
同じ戦争映画でもその見方は人によってさまざまですよね。
軍事オタクのある友人は、あの戦争で○○型の戦車は使われてない!とかのチェックに余念がない。しまいには砲弾の形にまでケチをつける。(笑) 戦争映画を見て、戦争は絶対嫌だ!と思う人もいれば、戦争になったら俺も命を懸けて闘うぞ!と思う人もいるかもしれない。そのようなそれぞれの思いを規制できるものではないし、規制するべきでもない、と思う。 ただ、私は心配なだけだ。戦争映画が世論を戦争容認に導くための情報操作として使われてしまうことが。 もうひとつは、人間というのは「戦争」という苦しみでさえ「戦争映画」として楽しむことが出来る、ということだ。少なくとも戦争映画を観ることによって感じる「苦しみ」と実際の戦争の「苦しみ」を同列に考えるような愚は犯してはならない、と思う。 私がよく訪問する映画批評のHPパンちゃんワールドでも、アカデミー賞を獲ったスピルバーグの 「プライベートライアン」については映画評を超えて「戦争映画を観る」とはどういうことか? ということに関して10代、戦争経験者、はてはアメリカの戦争経験者を交えての議論で戦争状態(笑)となっている。 議論は議論を呼び、その感想文の分量は優に一冊の本が作れるほどだ。 とても一日では読みきれない!(笑) この問題についてはパンちゃんに任せた方がよさそうだ。 あまり脇道に逸れてしまうと「迷宮」に入ってしまうので・・・・・ しかし、いつ奇襲をかけられるかと思うと、うかつなことは書けんなぁ・・・・(^_^;) |
2月6日(日) ひとりよがりなホームページ さて、今日も掲示板から「かもめさん」のカキコミを元に日記を進行していこう、と思います。 近頃、お馴染みのパターンですねぇ。(笑) しかし、このパターンは定着しそうです。というのも、私は当初から、この「迷宮」を読者参加型のホームページにしたかったからです。 その為に「エッセイ投稿」も呼びかけているのですが、生憎と全くといっていいほど投稿がありません。(^_^;) まぁ、たしかにエッセイと名が付くと、みんなが退いてしまうかなぁ・・・とも思いましたが・・・(笑) そこで考えたのが、私が面白い、と感じた「掲示板のカキコミ」を私の独断と偏見 (ここがポイントです・・(笑)・・) で「投稿作品」にしてしまおう!と思ったわけです。 私は大きな流れの中に於いては観念的ではあるけれど「真理」をつかんでいる、という自信がありますが、実生活の中でそれが実を結んでいるか、という点になるとほとんど自信がない。(汗) つまり、まだまだ多くの間違った思い込みに思考回路が繋がってしまう。 そんな時の軌道修正に役立つのが、掲示板のキツーイ反論や批判、そして奇襲攻撃(笑)です。 みなさんの刺激的なカキコミ(投稿)をお待ちしてます。 でも、たまには誉めてね。(笑) ただし、中心になるのは私の独断と偏見です。 まったく「ひとりよがり」の部分がないホームページなんて、存在価値ないもんねぇ。(笑) |
日記読みに来ましたよ〜(^o^)/
おお!話しはなぜか「戦争映画」になっていったのですね〜! うーん、「戦争映画」とひとくくりにして好き嫌いを論じるのはどうでしょうか〜〜〜。。。 一昔前はスペクタクル作品としての「戦争映画」、全く娯楽としての戦争映画というジャンルがありましたが、70年代あたりから、そういうものは消えてしまったのではないかな〜。 全くの私見ですが、ベトナム戦争を経験してしまったアメリカが「娯楽戦争映画」を作らなくなったからではないかな???(作らなくなった、というか作れなくなった?) 私的には「戦争映画」という言葉からは娯楽のイメージを強く感じます。 だから、「プライベート・ライアン」を「戦争映画」と呼ぶのにはなんとなく抵抗感があるのです。「第二次世界大戦を舞台にしたドラマ」と呼びたい。(←長いよーっ>_<) 「戦争を舞台にした映画」が何故、感動を呼ぶのか。 人間の生死を描いてるからではないかな?登場人物の生き様、死に様を観ながら、人はさまざまな思いを乗せていけるから。生と死、一番シンプルで一番難しい命題を軸に、ギリギリのライン上を物語が展開されていく。時代背景とか知らなくても、命の部分で感じていけるのですよね。 「生死」という命題ときちんと向き合ってる作品が「すぐれた映画」と呼べるのだと思います。 今、「娯楽戦争映画」の後継を担ってるのはSF映画なのかも知れませんね〜。 「スターシップ・トゥルーパー」なんかはかつての「戦争映画」のノリでしたよぉ〜〜(^^;)。 |
私は「スターシップ・トゥルーパー」が好きです。(笑) この映画は「娯楽戦争映画」の形をとりながらも戦争を強烈に皮肉ってるように思いました。ラストシーンの軍部の「地球のために戦おう!入隊しよう!」プロモーションビデオ(?)なんかは完全に戦争を茶化してるもんなぁ(笑)でもイケイケの戦争映画として受け止める人が沢山いそうな”危ない映画”である事は否定できませんね。 ベトナム戦争以降、アメリカが娯楽的要素の強い戦争映画を作れなくなった、というのはそうかもしれませんね。たしかに今現在製作されている戦争映画に関しては見識を改める必要がありそうです。 プロフィールの好きな映画欄(時々更新してます。)にも書いたけど アカデミー賞作品の「ディア・ハンター」は私の好きな映画です。 ・・・おいおい、アカデミー賞作品は嫌いじゃなかったのか、って?例外もあります・・・(^_^;)・・・ 考えてみれば、嫌いだ嫌いだ、と言いながら 「プラトーン」も 「カジュアリティー」も 「地獄の黙示録」も 「黒い雨」も 観てんだよなぁ(^_^;) かもめさん、貴重な御意見ありがとうございました。 |
2月7日(月) 今日は、迷宮バナー集に作品を4点追加。 例によって、M君と可愛い奥さんである花ちゃんが作ってくれました。 実は、この 花ちゃん というハンドルネームになるまでは紆余曲折がありました。 というのも、彼女が最初に指定してきた名前が おおとろ だったのです。 私は「やめてくれ!」と頼みました。(笑) だって 「おおとろ」 という名前から、みなさんはどんな女性を想像しますか? 間違っても「可愛い奥さん」は想像できないですよねぇ・・・ 私だったら、脂がのりにのった、ギトギトもしくはデップリした女性を想像してしまう。(笑) 仮に、彼女がそのとおりの女性だったら私はあえて止めたりしない。(^_^;) しかしそれにしても、これは 「迷宮バナー集」というよりは「迷宮イメージギャラリー」って感じになってきたなぁ・・・・(笑) |
2月8日(火) カチンとくる言葉 みなさんは、2月3日に紹介した p-moon さんの 「一周年のお言葉」を読みましたか? p-moon さんのHPは、私が「お手本」にしているHPです。 つまり、p-moon さんは私の師匠みたいものです。 しかし、年下の女性に向かって師匠というのも変なので「姉御」と呼んでます。(もっと変?) 「迷宮」が更新してない時は是非 p-moon さんのHPでヒマツブシ(まさかp-moonさん、これ読まないよね・・・・・(^_^;)・・・・・)していってください。(笑) それと、p-moon さんのHPには「掲示板」があるのですが見つけられましたか? え?・・・・・見つからない?・・・・では、ヒントをあげましょう。 「掲示板」のリンク先が「掲示板」とは限らない。(笑) その他にもこのHPには隠しページがいたるところに存在してます。 ヒントですか?・・・・・・うーーん!あんまりバラスと「姉御」から怒られるからなぁ・・・・(笑) ヒントは「掲示板」に書いてあります。(^_^;) 私がこの「一周年のお言葉」を読んだ時、以前バイトしていた中華レストランの料理長の言葉を思い出しました。その人が言うには フライパンを振りながら厨房の全員に指示を出した時に返ってくる「はい!」の一言で、誰が分かってるか分かってないか分かるそうです。 これは、この料理長に限らず、みなさんにも似たような経験がありますよね。 たとえば「はい!」言われても、Aさんの「はい!」には何も感じないのに、Bさんの「は〜い!」には妙にカチンとくるとか・・・・・・・・・・・・・・(笑) いわゆる言葉に棘がある、ってやつですね。 人間というのは鈍感なようでいて意外と敏感なものです。 特に人間として生まれてきた以上、人間関係に影響を及ぼす「相手の自分に対する感情」には特に敏感です。 つまり、先ほどの中華レストランを例にとれば 「はい!」 (わかりました!) 「はい」 (少しわかったけど、大体分かった) 「は〜い」 (そんな事言われなくても分かってるよ!) 「はい」 (今日の料理長は機嫌が悪いなぁ・・・・) 「は〜い」 (やる気ねぇ〜) 実を言えば、()で囲んだ心の声はみーんな相手に伝わってる。 これって怖いですよねぇ。 逆に言えば、言葉や行動でいくら誠意を見せても、心がともなっていなければそれは伝わらない、ということになります。仏典にも 「現象界に影響をおよぼす力は、心の行いが最大である」 との記述があります。 このことは私も、つい忘れてしまいがちになるので、いつも肝に銘じていることです。 私も以前は 「俺はこんなに仕事をがんばってるのにどうして評価してくれないんだ!」 と、周りの人間に対してカリカリしてたもんなぁ・・・・・・・ ・・・・・今でもしょっちゅうしてる(冷汗)・・・・・・ 思い返してみると、やはりプライドからくる怒りが優位で、相手のことなんか本気で考えてなかったような気がする。評価されなくて当たり前ですよねぇ。(^_^;) それにしても「一周年のお言葉」の最後の台詞はカッコイイ! 誰かに言ってみたいけど、私が言ったら 「ケッ!」 と言われるだろうなぁ・・・・(笑) |
2月11日(金) 親父の死 今日の日記は リンク集にも追加させていただいた kiyoshi さんのカキコを元に進めていくことにしましょう。 |
ご訪問ありがとう!ございました。
【投稿者】 kiyoshi 【投稿日】2000/02/09/(水) 午前11:51:20 ご訪問いただいたようで、早速、飛んでまいりました。 正直、私も「怠け者である自分を認められずにいる、怠け者」です! こちらのページをひととおり拝見して、自分のHPは閉鎖したくなりました。 自己嫌悪、自信喪失状態です。自分はまさに、現在進行形で迷走中ですね! そのなかで、自分を観察しはじめて、なんだか少し楽しくなってきたところです。 これからも、こちらのHPに遊びに来させていただきます。(お気に入りに追加しました) よろしければ、相互リンクしませんか? おこがましいですが、よろしくお願いいたします。 本家のHPは、http://homepage1.nifty.com/kiyoshi/ |
Kiyoshi さん、はじめまして! ついこの前、「反論大歓迎!」と呼びかけて身構えてたところ、逆に誉められて戸惑ってます。(^_^;) しかし、誉められて嬉しくないはずがない!!ありがとうございます。 kiyoshi さんの自己観察の手助けが出来れば光栄です。 では、私も早速誉め返しっ!!(笑) 「親父の死」はとてもよかったですよ。まさにドキュメントの迫力に満ちてました。 でもそれ以上に Kiyosi さんの自分自身の内面を真正面から見つめる、その姿勢の潔さが読んでてとても気持ちよかったです。 ラストの「ありがとう」は胸に沁みたなぁ。 私の親父も5年前に亡くなりましたが、この手記を読んで当時の自分自身の内面がまざまざと思い出されました。 実は私も親父のことが大嫌いでした。(笑) 私が故郷を離れた理由のひとつはこの親父と同じ家で生活していくことに堪えられなかったこともあるかもしれません。 特に ”躾(しつけ)” に関してはかなり厳しい親父でした。 小さな頃は親父が怖くて仕方なかった。 身体が少し大きくなった中学から高校にかけては、徹底的に反発してましたね。 弟もやはり思いは一緒だったようで、ふたりして共同戦線を張って抗戦してた。(笑) それでも、親父には殴られた事は1回しかなかったなぁ。 それも次の日の朝になると、すご〜く遠まわしに(笑)いかにもすまなさそうな顔してた。 もっともおふくろにはよく手を上げてたけど・・・(笑)・・ 子供には手を上げない、というのは親父なりのポリシーだったのかもしれません。 上京して、好き勝手に暮らしていくうちに、少しづつ親父の事が理解できるようになりました。 それは多分自分自身についても理解できるようになったことと連動していたみたいな気がしますね。 親子、というのは、やはりお互いが自分自身の分身のようなところがある。 当然よく似てるわけですよね。 自分では全く似てない、と思っているのに周りは 「お父さんにそっくりやねぇ」 と言われるのがすごく厭だった。 良いところだけが似てるだけなら何の問題もないのだけれど、欠点も良く似てるから始末が悪い。 自分自身が無意識のうちに目をそむけ嫌悪している欠点を相手の中に見るのは辛いものがある。 まして、それが血のつながっている父親ならその嫌悪は何倍にも増幅する。 親父が倒れたのは、少しは自分自身のそのような心のマイナス要素を受けとめる事が出来るようになって、親父ともしっかり向き合い、たまに冗談も言えるようになってしばらく経った頃でした。 どのような状況の時だったかハッキリとは想い出せないけど、多分仕事や生活で窮地に陥ってそれをすんなり乗り超える事が出来た時かもしれないけど 「これは、もしかすると親父に厳しく躾られたおかげかもしれない」 と思った事が何度もありましたね。 自分では普通に振る舞っているのに、どうも周りの人間は私のことを良家の坊ちゃん(笑)みたいに 「きちんとした人間」 に見えてたらしくて、そのおかげで随分助けられたような気がします。 長い間、私は親父を 「反面教師」 として考えてたけど、ほんとうはそんなことは全然なくて、ただの 直面教師(?) だったんじゃないか、と今は思っている。 ところで私は、宮本 輝 という作家がとても好きだが、その作品 「海辺の扉」 の中にこんな台詞がある。 父親が死んでも哀しいことにかわりはないが 五年、十年たつごとに思い出して泣く回数が増える。 父親の死は、人間に、色々な形の愛情というものを教える。 女親に比べて愛情表現の不器用な男親の愛情は、それを理解できるまで少し時間がかかるのかもしれませんね。だから、悲しみも少しだけ遅れてやってくる。 うーーん!今日はちょっとセンチになってしまった。(笑) |
2月17日(木) イヤなタイプ みなさん、おひさしぶりです。・・・・・・・・・ちょっと、かもめさんがコワイ・・・(^_^;)・・・ それにしても、この頃は一段と寒くなってきました。 しかし、あまりにも寒すぎるなぁ・・・と思ってたら実は「さむけ」でした。 つまり、珍しく私は風邪をひいてしまったのです。 実は私は、馬鹿と言われようが何と言われようが(?)風邪は滅多にひかない。 そのせいでしょうか、「さむい」と「さむけ」の区別がなかなかつかなかったりします。(笑) せっかくありついた定職(先週の土曜日から・・・正社員じゃないけど、日払いでもありません。(笑))を入社早々休むのもヤバイと思って、休みもせずに頑張っております。 と、いうわけで朝10時〜夜9時迄 仕事& 風邪気味で更新が出来なかった!・・・という言い訳でした。(笑) 今日は一気に、ハンナさん、Reikaさん、kiyosiさん、そしてかもめさん、の投稿をもとに・・・・・(^_^;) |
自分のこと、棚上げにするのは簡単
【投稿者】 hanna 【投稿日】2000/02/12/(土) 午後10:20:34 親子かあ・・・。 父と息子、もだけど、母と娘もなかなかたいへんです。 父と娘、母と息子もそうですねえ。 結局人対人。 親は子に多大なる期待をするし、 子は親のサイドで考えられるまではしばらくかかるようだし。 親を育てるのは実は子供なのだ。 私も子供に鍛えられてます。 |
こんにちは(^^) 【投稿者】 かもめ 【投稿日】2000/02/15/(火) 午後06:22:09 キタローさん、お忙しいのかな?? 更新が途絶えてます・・・・(笑) 読者が待ってますので、よろしくお願いしま〜〜す(^-^)/! 7回観た映画はうちの掲示板に書き込んでおきました。 あの、とってもミーハーなので期待しないで下さい(*^^*)。 >hannaさん >父と息子、もだけど、母と娘もなかなかたいへんです。 その通りですね。 娘は成長すると「母親」の中の「女」を発見してとまどうことがあります。母親が「同姓の他人」に見える瞬間が来ます。いい意味でも悪い意味でも。。。 ##男性にもこういう感覚ってあるのかなぁ?? ホームページ作成、がんばってくださいね!! 出来上がったらお邪魔させていただきま〜〜〜〜す!
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「くぉらぁ〜!ええかげんに更新せんかい!」 と、言ってのけるかもめさんのキャラクターっていいなぁ!・・(笑)・・・ 何時だって自分自身を見つめるきっかけを作ってくれるのは、逃げも隠れも出来ない状況下における イヤな奴、だったり苦手な人、もしくは敵対する人、ですよね。 そして自分自身を成長させてくれた相手も、やはりそのような人だったことを、後々になって初めて気付かされます。でも、人間はすぐ逃げる。私もすぐ逃げるタイプです。(笑) しかし、いくら逃げても苦しみがなくなるわけではない。ただ単に苦しみを先延ばしにしただけ。 似たようなイヤなタイプの人はこの世にゴロゴロ転がっている。(笑) それこそ無人島にでも行くしかない。 でも、「情」に対する執着が最も強い魂であるがために、この人間の世界に生を受けた人間が、死ぬまで一人でいられるはずもありません。 もし、ひとりでも全然平気な人がいるとしたら、その人の意識状態は、もはや人間を超えてる、と言えます。 苦しみばかりを与える相手と極限まで向き合っていると、私たちは少しづつ色んなことに気がついて来ます。ほんとうは誰も自分を傷つける事はできない、ということに・・・・。 悪口を言われて傷つくのも、実は自分自身の心の中の言葉で傷ついてるだけなのだ、ということに・・・。 でも、これって口で言うの簡単だけど、それを自分自身の「実感」とする事はとても難しい。 もし、それを実感でき、体現出来たとしたら、これほどの幸せはないでしょうね。 そして、それは、仏教的に言うならば「悟り」であり、ヨーガ的に言うならば「覚醒」と言えるだろう。 だからこそ、宗教的な価値観において、このような「悟り」や「覚醒」をもたらしてくれる 「逃れられない極限の苦しみ」のことを「祝福」という言葉で表現するのだと思う。 この世の色んな苦しみを単純に「不幸」と見ないところが仏教的な見方です。 いや、言い方を変えよう。真理に根差した正しい見方です。 今日も、まるで仏典のような小説(笑) 宮本 輝 の「海辺の扉」の一節を紹介しましょう。 この小説の主人公は、二歳の溺愛していた息子を過失から死なせてしまった過去を持っている。 そのような心の傷を抱えてるせいか、人生の途上にしばしば訪れる幸福な瞬間を素直に受け止めることができない。 幸福の絶頂にいる時、ふと、まるでどん底の不幸の入口に立ってるような恐怖に襲われるのだ。 彼は、こう考える。 一回転すれば、楽しみが苦しみにひっくり返る一枚鏡でもある けれども、それは同じではなく、異なってはいない、という表現が正しい 同じではない。 異なってはいないのだ。 |
キタローさんの感性がうらやましい!
【投稿者】 kiyoshi 【投稿日】2000/02/12/(土) 午後03:17:20 日記、読ませていただきました。やはり、誉められるのはいい気分なのですが、なんかおかしな気分でもあります! キタローさんの感性に驚いています!自分にもこんな感性があると・・・・うらやましいなぁ〜! 『長い間、私は親父を「反面教師」として考えてたけど、ほんとうはそんなことは全然なくて、ただの直面教師(?)だったんじゃないか、と今は思っている。』 このキタローさんの「直面教師」には、まったく同感です!父親と息子の関係ってのは、一言では語れない複雑なものがふくまれている気がします! 自分との対面や、もう一つの自分の認識。これって、やっぱり苦手です! 親父の生前は、自分の人間関係でも一番の苦手な人だったようです! それが、親父のいなくなった今、大切な教材を失ったような脱力感すら感じています。 決して好きではなかった父ですが・・・、母のほうを大切に思っていた自分ですが・・・、 今は仏壇に向かって何でも心から話すことが出来ます。 生きているうちに、こんな仲になりたかった・・・これが今の本心です! リンクの件ですが、「リンク仲間」というコンテンツのページにあります! バナーも一番のお気に入り、とおっしゃるものを使わせていただきました。 どうぞ、ご確認下さい! では・・・また! http://www.hello.co.jp/~kikukawa/ |
はじめまして&ようこそ&お邪魔します
【投稿者】 こんにちは〜 【投稿日】2000/02/14/(月) 午前10:24:04 HPに御来訪頂きありがとうございました。 早速私もこちらへ遊びに来ました。 HPを見て「(鎌倉の)kiyoshiさんに似ている」と思いました。きっと作者の内なる部分が似ているんでしょうね。(・・・そうでしょうか?) また遊びに来ますので今後とも宜しくお願いします。。 私のHPにお気に入りの箇所が(白い部分以外で!!)ありましたらまたおいで下さいね! それでは〜。 |
Reika さん は鋭い!(笑) Kiyosiさんの、自分についての文章を読んだ時、昔の自分の日記を読んでるような錯覚を起こしました。 今のところネットを通してのみならず、身近な友人も含めて精神的な面で 私に「最もよく似てる人No1」は Kiyosi さんではないか、と私は思ってます。 Reikaさんともなんだか深い縁がありそうですねぇ。 ReikaさんのHPにある言葉は、どれをとっても、まさに成層圏まで突き抜けそうなくらい、まっすぐで力強いですね。読んでるだけでとても気持ちがいい。思わず背筋もまっすぐになる。(笑) みんなで読みに行きましょう!(^^) ・・・・というわけで、私とKiyosiさんは似ているのです。(笑) ところで、「感性」って何でしょう? 人がある人に対して「あの人の感性は・・・・」と言う時、これは一種の誉め言葉ですよね。 それともうひとつ、「あの人は変わり者だ!」と同義語かもしれない。(笑) まぁ、私の場合「変わり者」とか「あいつはおかしい!」と言われても嬉しいくらいだから何の問題もないが・・・・。 私が思うに、この「感性」という言葉をよく使う人は、この世のありきたりで常識的なものに対して、飽き飽きしています。 特に手垢のついた道徳論なんぞを延々と聞かされたりしようものなら 「うわ〜〜っ!」と叫びながらテーブルごとひっくり返したくなる。(笑) ・・・・これは、私のことです。・・(^_^;)・・・・・・・ つまり、「感性」という言葉は、この世の常識的な価値観の中に、ほとんど真理が内在してないことを現わしている言葉、と言えるかもしれませんね。 今日は、なんだか、本文より投稿の方が多かったような・・・・(笑) |
2月25日(金) 器用貧乏な虎 またまたまた・・・御無沙汰してしまいました。 もう、いいわけは・・・・・しないつもりだったけど・・・します!(^_^;) おかげさまで、仕事の方は今のところ順調です。みなさんの、暖かい声援にはほんとうに励まされました。 ほんとうに、ありがとうございました。m(_ _)m それにしても、「日払いではない仕事」の、なんてラクチンなことか!(笑) そんなわけで、HPの更新は御無沙汰してしまいましたが、決して調子が悪かったわけではありません。 仕事はパソコンの文書入力とその校正です。 最初の2〜3日は、まる1日パソコンの前のディスプレイとのにらめっこで、いいかげん具合が悪くなりましたが、この頃はやっと慣れてきて、適当な手抜きも覚えました。(早すぎる?) 気力も充実してきて、ネタはあふれてます。 書きかけの文章はパソコンの中のあちらこちらに散乱してます。(笑) しかし、まとめる時間がない。 いや、言い方を変えよう。 まとめるアタマがない。(^_^;) だから、中途半端な文章でもOKなら毎日でも更新できます。(笑) でも、それは私にはできない。 動物占いでは、私は器用貧乏の「トラ」ですが(大当たり!・・(^_^;)・・)軽い文章をサラサラと書けるほどには器用でもありません。これが欠点といえば欠点か? みなさんには、それなりに、しっかりとまとまったものを提供したい。 しかし、更新が「週刊迷宮」(?)になってしまうのは考えものだ。 かと言って、その間のツナギをサラサラ、も無理だし・・・・。 みなさんとの精神的なスタンスをどのように取っていくのがベストなのか、いまひとつ自分の中で確立できないんですねぇ。 いずれ、それを明確にして、みなさんのHP作りの参考にできるような形で提示できたら最高だ、と思っています |
え〜〜〜〜ん(><)` 【投稿者】
かもめ 【投稿日】2000/02/21/(月)
午前01:44:54 私はこわくなんかないですよ〜〜〜ん(爆)! キタローさんの日記の中で、日○の社員のようになってしまったかもめでした(^^;)。 でわ、また「請求」に来ま〜〜〜〜〜す(笑)! |
あらら、かもめさんを泣かせちゃいました。(^_^;) かもめさんは、ちょっとの間旅行に出かけるそうです。 シメシメ、鬼の居ぬ間に・・・・・・・・ ・・・と思ってたら訪問者履歴に・・・「かもめ」・・・・・・ まさか、もう帰ってる?・・・(^_^;)・・・(汗)・・・(-o-;)・・ |
はじめまして 【投稿者】
ozaki 【投稿日】2000/02/19/(土)
午前01:02:41 僕のHPにきてくださってありがとうございます。 なんか、日記の構成が独特で、おもしろかったです。 僕のHP、「字」ばっかりなんですけど、 きっと、「字」すきなんでしょうね!? あと、かんがえるのも、すきなんでしょうね!? なんか、そんなふうに、思う けど。。。。。。。 「字」って、すきじゃない人いるじゃないですか?! じゃないですかーーー???? どーなんだろ。 なんか、あんま、凝り性じゃないんです。 僕は。 ありがとう。カキコしてくださって。 |
Ozakiさん、はじめまして!m(__)m 私のHPも、字、ばっかりですよ。(笑) 文章を考えるのは頭の体操になっていいですね。 このHPを始めて、文章を書くようになって、少しづつ頭の整理が出来るようになったような気がします。 頭の中だけで考えてるぶんには、全てが曖昧であっても全然問題ないんだけど、いざ自分の考えを文章として表現するとなればそうもいかなくなりますね。 ある程度、頭の中を整理しないと文章にならないし・・・ そんなわけで、文章を考える、という作業は私にとっては一種の瞑想です。 それを文章として表現し、更にそれを読んでくれる人がいる、ということはほんとに幸せですねぇ。 ただの字の羅列にすぎない一冊の本は私たちの心の中に一つの世界を作ります。 落ち込んでどうしようもない時に、雑誌の中の一行の文章で救われる時だってある。 字や文章は一種の精神エネルギーですね。 言葉というのは、実は立体的な空間の広がりを持っている、と時々思います。 これからも、私はひたすら文字の一本槍です。(笑) お互いに頑張りましょう。(^^)V |
こんにちは 【投稿者】
hanna 【投稿日】2000/02/18/(金)
午後02:36:37 キタローさん、仕事が決まってよかったですね。 風邪の方はどうですか? 仕事がないときの不安な気持ちってないですよね。 「私は社会から必要とされていない。 私なんて生きていても何の役にも立たない。」 などと悲劇のヒロインになってしまうのですが、 でも切実なものです。多からず少なからずそういう気持ちになりますよねえ? でも、社会で働けること以外にももっと意味のあることはたくさんあると思う。今はお金中心の世の中なので、 働いていない、仕事のない人は肩身が狭くなりがちだけど、人間的な価値は別だものね。 でも現実問題、今お仕事のない人、頑張って! |
もし、私が一般的にいうところの仕事をしてなくても、本当に自分がやりたいことをやれていたら、不安は感じなかったかもしれません。 何がもっとも不安だったか、といえば結局は自分自身の中に巣食っている怠惰でした。 そして、それに本気で立ち向かおうとしない自分自身の弱さでした。 これには、自分でも呆れましたね。 自分自身に向かって 「おまえ、馬鹿か?」 と、言い続けた毎日でした。 こんなことだったら、自分の意に添わない仕事を押し付けれて、さんざんイジメられてる方がずっとマシだ、と本気で思いました。 逆に、もし、自分がやりたいことを本当にやれてる人は、普通のいわゆる一般的な仕事をしていなくても、日払いであっても、フリーターであっても、なんら恥じることはない、と私は思いますね。 きっと、それこそが、あなたの本当の「仕事」です。 そして、今日はhanna さんのエッセイ 「好きは嫌いか 嫌いは好きか」を紹介しましょう。 このHP、初の一般読者からのエッセイ投稿です。(・・・(T_T)・・・感涙!!) 「愛と憎しみの・・・・」はテレビドラマの決まり文句ですね。 愛がなければ、憎しみもない。 前回の日記にも書いたとおり、 愛と憎しみは同じではないが異なってはいない のである。 もっと厳密にいうならば、それが愛ではなく愛情であることが問題なのかもしれません。 さて、次回の更新は2〜3日後・・・・・・の予定です。(^,^;) |
2月28日(月) みんなの躁鬱(そううつ)病 さて、今日はまずはゴジラさんの投稿から始めましょう。 |
待っていました(^^)。 【投稿者】
ゴジラ 【投稿日】2000/02/26/(土)
午前10:16:33 キタロー様、待っていました。お仕事お忙しそうですね。 良かったです。 無理のない範囲でやってください。 以前、お世話になったyasukunさんは仕事が決まってから、掲示板のレスがなくなってしまいました(^^;。 |
ゴジラさん、ほんとにいつもありがとうございます。 仕事はがんばってます。(^^)V さて、私の場合はどうなるのかなぁ・・・・ 実は私にも分かりません。 なんだか、この頃、自分が信用できない。(笑) 自分ではそんなに更新が御無沙汰になることはない、と思ってるんだけど・・・・(う〜〜ん!(^_^;)・・・) 変な言い方になるけど、私はこのHPを趣味では作っていません。 どちらかといえば自分にとっての大事な仕事だ、と思っています。 もっと大袈裟に言ってしまえば、私に与えられた命題だ、と感じています。 と、いうわけで頑張りますから見捨てずに身守ってやって下さいませ。(笑) ところで、 みなさんは 躁鬱病 という病気を知識としては知っていることと思います。(私もそれほど詳しくはないけど・・・・)いわゆる精神病の一種ですね。 「躁」の、気分が高揚した状態と「鬱」の状態が交互に訪れる感情精神病です。 何の本だったか忘れましたが、躁鬱病の病状の改善に有効なのは 「鬱」の状態へのアプローチではなく、「躁」の状態の時だそうです。 精神が高揚して明るい状態なのに、どうして躁の状態が問題になるのだろう。 みなさんはそんな風に考えるかもしれない。 しかし、これは自分の周りにいる感情表現のオーバーな人を見てみるとよく分かる。 嬉しい時や楽しい時に、まるで天下でもとったように喜ぶ人は、落ちこんだ時には手が付けられない。(笑) 例えば、明日は彼(彼女)と楽しいデート。 貴方の期待が大きければ大きいほど、前の日の夜に、明日のことをあれこれと楽しい想像を膨らませて幸福感に浸れば浸るほど、当日、相手の都合でドタキャンになった時の落ちこみは激しいものになるだろう。まして、本当は別の彼女(彼)と会っていた、などと知ったら寝込んでしまうかもしれない。 至上の幸福は、何時でも最悪の不幸と背中合わせなのです。 喜びにとらわれ、それに溺れてしまうことは苦しみの因になる。 楽しみを求める事をよし、とする情報に囲まれていると、なかなかこの事に気がつかない。 分かってても分からない。情報による汚染で、本来すぐに思い付かなければならないこの当たり前の発想が出来なくなってしまう。 連想力、想像力、発想力を奪うこと、私はこれこそまさしく洗脳だ、と思う。 楽しみを求めれば楽しみが増えていくような錯覚に陥る。 ところがどっこい、楽しみは苦しみとワンセットになっているのだ。 このような考え方が根付いてくると、自分が苦しい時の解決が早くなる。 苦しい時には考えてもなにが苦しいかなかなか分からない。 そんな時はこんな風に考えればいい。 「私はなにを楽しみにしてるのか?」 「なにに執着しこだわっているのか?」 「そのこだわりは、私を本当に幸福にしてくれるのだろうか?」 そして 「なにを楽しみにすれば本当に幸福になれるのだろうか?」 もともと遊び好きの私は、このような 「この世は総じて苦である」 「楽しみを求めるな!」 というような仏教的な考え方は受け入れがたいものがあった。 随分悲観的な考え方だなぁ、と思っていた。 でも、この歳になってやっと本当の意味が分かってきたような気がします。 これこそ、本当に幸福になるためのキーワードかもしれない、と・・・。 そんな仏教嫌いの私が精神的に行き詰まった時、ヨーガに巡り会ったのが仏教的な世界に親しむきっかけだったように思います。 そこには、日本の形骸化してしまった仏教とは全く違う、広大な世界が広がっていました。 変なたとえになってしまうけど、それまで古臭くて陰気な印象しかなかった仏教が、ヨーガに触れて 「これはSFか?(笑)」 と思いました。 一見荒唐無稽でありながら、その論理はとても科学的なものでした。 そして、なによりも面白かった。 たとえば、このような言葉がある。 「この世の苦しみの総量は一定である。」 これは面白いですねぇ。 つまり、逆の見方をすれば、楽しみの総量も一定、ということになりますね。 私たちが楽しんだ分だけ、一方では楽しむことの出来ない人が出てくる計算になります。 この世の少ない楽しみを全ての人が奪い合うように貪れば、その裏にある、この世の苦しみが増えてしまうのは当然の道理だ。 これは個人レベルでも同じ事が言えるかもしれない。 「あなたが楽しめる総量は一定である」 と・・・・。 楽しめる総量、というのはその人の持っている徳の総量、ともいえるかもしれませんね。 そうなると、どうなるか? 徳もある意味で貯金のようなものですから使えばなくなります。 楽しんだ分だけ減っていく。 段々楽しめる条件が減っていく。 さぁ困りました。どうしよう?(笑) 解決法はただひとつ、他を楽しませることを楽しみにするしか道はない、ということに気が付きます。 考えてみれば、自分の中だけで完結してしまうような閉じられた楽しみ、というのはどこか虚しいですよね。 それは多分、心の深い部分・・・・真我の部分でその間違いに気が付いてるせいかもしれません。 |