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能力と才能 (1999年11月17日)

科学の限界(1999年12月6日)

作家の晩年(1999年1月29日)


 宿命という名の物語 (2000年6月13日) 

 蜥蜴(とかげ) (2000年9月16日)

 さだ・まさし という男 (2000年9月29日)


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★能力と才能★

全身の奥深く眠り、容易には取り出せない幼い頃の記憶。
私たちはそれを往々にして天性と呼ぶ。
そして、そう呼んだ時から何かが半分くらい見えなくなる。
それを手にした人も、
手にすることが出来なかった人も・・・・・。

最相葉月・著「絶対音感」より


私の友人の女の子は、自他共に認める正真正銘の”音痴 ”だった。
会社の同僚に言わせると
「全然、歌になってなかった」
そうである。彼女はなんとか自分の音痴を治したくて必死で練習した。
カラオケから逃げたくても、まわりの同僚達はそろいもそろって”カラオケ命”の猛者ばかり。とうてい逃げ切ることは出来なかったのである。

一年後、彼女は同僚の中でもトップクラスの”歌がうまい人”に変身した。これは、作り話でも何でもなく、実話である。

もし、「歌がうまいのは、天性だから・・・・」と、あきらめていたら、彼女の音痴は治らなかったに違いない。



これまでは、音楽に関するたくさんの能力が、生まれつきの才能だと信じられてきました。そのため、それらの教え方についての研究が真剣に研究されずに放置されてきました。教えようとする前に、才能の問題だからとても教えることはできないと、教えることをあきらめてきたことがらです。その一つの例が、絶対音感でした。私は、こう考えます。

音楽教育の世界で、これまで才能と考えられてきたものの中には、才能とは無関係のただの能力にすぎないものまで入ってしまっていたのではないでしょうか。

ですから、これからは教えることをあきらめる前にもう一度よく点検して、本当に教えることができないのかどうかを調べなおしてみる必要があると思います。


江口寿子・著「ひとりでピアノが弾けた」より
[注・=私のコメントです]
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★科学の限界★
「リング・最終章」より

「リング」「らせん」といえば映画やTVドラマで評判になったホラーである。

物語の中で、見たものが13日以内に死んでしまう”呪いのビデオ”が出てくる。

ここで取り上げるのは、この物語の主人公である「高山竜二」と、大学の病理学教室助手で遺伝子組み替えにたずさわっている「宮下 理恵子」が”呪い”をめぐって論争するシーンである。

最初にことわっておくが、私はこのドラマのCMをしてるわけではないし、おすすめしない。(私はみてしまったが・・・・(^^;)


高山 竜二 ”呪い”は存在します。
宮下理恵子 じゃあ、私とは意見が合わないわね。
高山 竜二 5人が死んだのは呪いの力だ。
宮下 理恵子 ・・・・ふぅ・・(と、あきれたようなため息)
5人が死んだのは呪いの力なんかじゃないの。
心臓冠動脈の腫瘍が原因なの。

高山 竜二 (すかさず)では、その腫瘍の原因はなんですか?
宮下 理恵子 ・・・・・・・・??・・・
高山 竜二 DNAの異常による細胞の増殖ですか?
宮下 理恵子 ・・・・・・・・
高山 竜二 では、DNAの異常の原因は?・・・・ウィルスですか?
宮下 理恵子 ・・・・・・・・・・・
高山 竜二 では、ウィルスの生まれた原因は?
宮下 理恵子 ・・・・・・・・・・・・・・・
高山 竜二 どこまでいっても答えは見つかりません。

そうやってあなたは現象を細かく切り刻んで名前を付けてるにすぎないんです。

それが科学の限界だ。

私もそれを知り、絶望した。

科学至上主義者が陥りやすい罠を、端的に表現した名台詞です。
【関連記事】
日記(12月6日)
[注・=私のコメントです]
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★作家の晩年★
増田 忠・著「らくらくキーボード練習帳」
練習文より


山本夏彦よ、安らかに眠れ(1)


私は山本夏彦の文章が好きだ。文春文庫や中公文庫に収められた彼のエッセイは生き生きとして、私を楽しませてくれる。私もいつの日か、あのような痛快無比な文章をものにしたいと願っている。

読む人を「ギャフン」といわせるのはさぞかし痛快だろう。日常生活でも毒舌がストレス解消になるのは事実だ。多少の後ろめたさはあるが、相手をやり込めると誰しも「スー」とするだろう。それに風刺は一種の知恵だから、頭の良さの証明のような気にもなる。知的快感だ。

しかし、頭で相手をやり込めた気になる反面、後ろめたい気分が残るのは、皮肉が言葉の暴力だからだろう。

山本夏彦よ、安らかに眠れ(2)

皮肉を言う方は気分が良いだろうが、言われた方は気分が悪い。だから、言いたいが言われたくない。そう思えば書こうとすると、戸惑いが生ずる。

それに、この世には見えない法則が働いている気もする。つまり言われた側の気分の悪さはなんとかして解消されようとする。悪意の種は次々と播かれ、巡り巡って元に戻る法則があるらしい。

「因果応報」は世の習いなのである。

私は毒舌・風刺・皮肉の結果で自分の人生を不幸にしたくはない。一時的なストレス解消の代償として毎日を、そして一生を不幸にしたくない。やはり、全体が大事である。最後が大事である。

私の周りにいる皮肉屋たちの毎日や人生はどうだろう。私は彼らとあまり付き合いたくないので、特に彼らの未来は分かりようがない。反面教師として役に立たない。

山本夏彦よ、安らかに眠れ(3)


私が知ってる範囲では、毒舌タイプや風刺タイプの作家は、晩年が不幸だったようだ。
マーク・トェイン。それに、「悪魔の辞典」のアンドレ・ビアスもいる。
西洋に限らず、日本の作家でもシニカルなタイプは晩年が不幸だったようだ。

マーク・トェインの靴を磨かなかった召使いは、どうせ腹が減るだろうと夕食を抜かれた。作者の生活ぶりは作品に現れ、作風はまた生活に影響を与えるだろう。身は一つなのだから。

私の周りにいる皮肉屋たちはどんな晩年になるだろう、との私の疑問は解けないが、作家の動静を見ていれば想像できよう。作家であるなしに関わらず、毒舌家なら人生のパターンは似るだろう。

性格と人生はイコールのはずだ。

そこで私の興味は現在進行形に注がれる。有名な風刺家で比較的年齢が高い人を観察することになる。そうした作家がどう人生を閉じるか目を光らせて見ている。

山本夏彦が安らかに眠れば、私もあのような文章を書いてみたい。


ところで、みなさんは、どのくらいの早さでキーボードを打てますか?私はワープロ検定試験の経験はないので自分の実力は全く見当もつきません。
ちなみに私が 『 山本夏彦よ、安らかに眠れ(1) 』 を打ち込むのに要した時間は
7分10秒
 でした。(遅いよなぁ・・・・(笑)・・・)

みなさんは何分かかりましたか?

ワープロ検定を受けたことのある人は是非、私の実力を査定してください。(笑)
【関連記事】
1月29日の「日記」

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宿命という名の物語
宮本 輝・エッセイ集・「二十歳の火影」より

 
「人は、生まれながらに差がいている」という言葉がある。
何でもない言葉だが、きわめて重要なことを示唆しているように思われる。

小説の世界に限って言えば、この「差」のおかげで、作家は物語を創造することができたと言っても過言ではない。

身分の差、貧富の差、容貌の美醜、頭脳の良否、体力の強弱、生まれ出る時代の差異、または生まれ出る国土の相違、それらの混合が、辿るべき運命の差となって千差万別の物語に拡がっていくのである。

これらの「生まれながらについてる差」は、もはや宿命とよぶしかない。
それを宿命と呼びたくない人もいるに違いないが、意志とか努力とかの及ばない領域については、やはりそう呼ぶしか仕方がないであろう。

しかも、多くの文学作品は、この宿命というものに対する、敗北の記録であった。

文学は、醜女(しこめ)を美人にはしてくれなかったし、重い病を治してもくれなかった。生まれながらについている不条理な差別から、人間がいかにして解き放たれるかの手口を示してはくれなかったのである。

近代文学は、小説的技法とか方法論を模索するだけで、「物語」そのものからはますます逃避していく。その否応なしに背負いこんだ「物語」に、人間たちはどれほど徹底的に痛めつけられ、翻弄されつづけてきたことか。にもかかわらず、文学にたずさわる人の多くは、この「物語」に、いっこうにたち向かっていこうとはしない。

この問題について真剣に挑もうとする人は、結局サルトルのように、「文学」は、アフリカの飢えた民衆に対して、一体何を成しうるか」と既嘆するしかない。

人間は行き詰まっている。
いかに現代科学を駆使しようとも、人間がどうしても「物語」を超えられないからである。
だから、文学は行き詰まっている。

「もし天分と幸運に恵まれるならば、芸術家は誠実な努力によって、神秘的に地上に現われた人間の苦闘、喜び、希望、さだかでない運命の中で、全人類を結びつけあっている連帯感を、人々の心に呼び起こすことができるようになるだろう」

これは「ロード・ジム」や「青春」などで海と人間を描きつづけた作家、ジョセフ・コンラッドの言葉である。

ところが、芸術家、なかんずく文学に関わるものの多くは、喜び、希望、連帯感といった代物に、とりわけ興味を示さない連中であって、傲岸から生まれる孤立感、無常なる世の現象から生じる虚無感へと自らを追いやってしまう性癖を持っている。
そこには他者というものがない。言い変えれば、孤独なるもの、無常なるものを土台として、文学の多くは誕生してきたということになる。

それらの作家にすれば、喜びや希望や連帯感など、どうでもいいのである。
しかも、文学に触れんとする人々のすべてが、コンラッドの言葉の中にあるものだけを求めているわけではない。
ある人はいっときの安らぎであり、ある人は知的遊戯であり、ある人はその場かぎりの興奮である。
しかし、それだけでは決して満足しない一部の読者にとっては、「物語」は自らの「物語」を超えるための喜びと希望と連帯感とに高められねばならない。

ひとりの人間の宿命を虚構に託して追跡し、そこに人生の意味や味わいをあぶり出すことは、すでに古今東西にわたるあらゆる名作が成し遂げた。
もはや文学の世界に、新しいものなど何もないのである。

もし新しいものがあるとすれば、それは人間のかかえ持っているどうしようもない根元的な「差」によって生じる悲しみや苦しみや障害を、どのように打ち破り、いかにして自分らしい勝利の物語に転換せしめるかの方途と証しを示す場合にだけ見いだすことができるだろう。それだけが「物語」を超えるただひとつの方法である。

私は、なぜ人間は生まれながらに差がついているのかという命題に、深く関わっていこうと思う。
それはもはや宗教の領域であるが、私はどこかの誰かさんがあなたをそのようにお作りたもうたのだ、などという宗教を信じるわけにはいかない。

そうした説得に応じるには、少々すれっからしになってしまったし、いささか残酷な現実につき合い過ぎてきたからである。

そんな私には、コンラッドの言葉の、連帯感というくだりが、ある意味合いを持って迫ってくる。
ここで言う連帯感とは、個々をいましめ合っている宿命という名の過酷な物語を駆遂し粉砕し、より良き生と死へと開いていくための、人間だけの共通した力と意志と実践の異名である。


関連記事・「アカデミー賞は嫌いだ・完結編」

関連記事(2000年6月13日の「日記」)

目次へ

  




蜥蜴(とかげ)
宮本 輝・エッセイ集・「二十歳の火影」より


五年前、私は住み慣れたアパートの一室から、今の家に引っ越してきた。住み慣れたといっても、母と二人でわずか三年程暮らしたにすぎない部屋であった。引っ越しの準備のため、私は壁に取り付けた三段の棚を外した。粗末な木の棚である。積んであるものを降ろし、一番上の棚を外してさて真ん中のを取り外す段になり、私はふと棚の端に目をやった。その瞬間、私の体が鳥肌立った。

棚と壁の間に、一匹の蜥蜴(とかげ)が斜めになって挟まっている。蜥蜴の身体は、壁と棚に打ち込んだ太い釘によって貫かれていた。しかも、蜥蜴は生きていた。私は釘抜きを持ったまま、二、三歩後ずさりし、母を呼んだ。私の声が少々異常だったのであろう、慌てて近寄って来た母も息を呑んで蜥蜴を見ていた。その棚は、確かに三年前、私が取り付けたものであった。「なんで生きてるんやろ・・・・・」と母が呟いた。

必死になって棚を取り付けていた私は、たまたまそこにいた蜥蜴もろとも、板を壁に押し当て、そのまま釘を打った。釘は、板と蜥蜴と壁を貫いたのである。そうとしか考えられなかった。釘を打った時、どうして蜥蜴の存在に気付かなかったのかという疑問よりも、その三年の間、どうやって蜥蜴が生きてきたのかという思いが、一種の不気味さとともにこみあがってきた。

「・・・・そういうたら」と母が言った。「ときどき、棚の奥から蜥蜴が這うて出てくるのんを見たことあるわ・・・・」母は溜息混じりに、この蜥蜴の妻か、あるいは夫が、三年間ずっと餌を運びつづけていたのに違いないと言った。「・・・・ようもまあ、こんなめに逢(お)うたまま、生きてこれたなあ」私も母もしばらく茫然と蜥蜴を見つめたいた。私はどうやってこの蜥蜴に償いをしたらいいのかと思った。

「釘を抜いたる」と私は言った。「死んでしまえへんか?」と母が制した。釘は肉や内臓と癒着して、蜥蜴の体の一部になってしまっているであろう。再び激痛が蜥蜴の体を襲う筈である。だがたとえその為に死んでしまうことになっても、蜥蜴はきっと自分の体を貫いているこの釘を抜いて欲しいに違いない。それは私の勝手な感傷でもあった。

私は力まかせに釘を引き抜いた。蜥蜴は体を弓なりに反らせ、大きく口を割って畳に転がった。背と腹には穴があき、そこから血が出ていた。ああ、死んでしまったかと思った時、蜥蜴は動いた。当たりをうかがうようにして懸命に這おうとしていた。私は新聞紙にそれを乗せ、表に出ると、土の上においた。いつものように餌を運んできた妻か夫が、きっと慌てて探し回るだろうと考えてるうちに、その蜥蜴は右に這い左に這い、ゆっくりと草むらの中に去っていった。

それ以降、何か辛いことがあると、私はその蜥蜴のことを思うようにしてきた。すると意志の弱い甘えん坊の私は、棚と壁に挟みつけられ、釘で射抜かれたまま、それでもじっと生きつづけていた蜥蜴から、何かとてつもなく激しい鞭を浴びせられるような気がして頭を上げるのであった。自分は自由で、さらに人間だと言い聞かせてきた。

だが最近になって、その蜥蜴に対する私の感慨は幾分形を変えてきた。それは、もしかしたらこの私の体にも、死ぬほどの苦しみを味わってまでも断じて引き抜いてしまわなければならない太い錆びた釘がささっているかもしれぬという思いなのである。

釘を引き抜かれた瞬間の蜥蜴の激痛を思うと、自分は波風を立てずこのままそっと生きていようかと考えたりする。だが人生には、きっと一度はそうした荒療治を加えねばならぬ節が、誰人にも待ち構えているような気もするのである。背と腹からこぼれ出た臓腑を引きずり、苦し気に、だが再びめぐり来た自由の天地へとひたすらじぐざぐに這って進む蜥蜴の、蒼光りした精緻な色模様を、私はいまでもはっきりと眼前に映し出すことができる。


関連日記 (2000年9月16日)







 さだ・まさし という男 


「フード・ファイト」 と いうTVドラマで「さだ・まさし」がゲスト出演していました。
私は さだ・まさし のファンというわけではありません。
私の女友達が さだ・まさし のファンだったので洗脳されたのかもしれない。
おまけに会うたびに彼女が、「さだ・まさし に似ているよ!」と、のたまうので、それからというものの気になって仕方がない。
自分では似てるとは思ってないが、自己分析ほど信じられないものもないし ・・・(笑)

さだ・まさし というのは変な人だ。

ヒットを飛ばしているわりに、「私は さだ・まさし のファンです!」と胸を張って言えない雰囲気がある。
特に男性のファンはそうだろう。
HPのサイトに 「さだ・まさし ファンの隠れ里」 というのを見つけて笑ってしまったが、このネーミングはファンの心理がよくあらわれている。
どうしてなんでしょうね?

人は、自分と似ている人に目の前をウロウロされると心穏やかでいられなくなるものだけど、もしかすると、さだ・まさし という人は日本人が平均的に持っている欠点を目の前で見せつけてしまう人なんじゃなかろうか?と思ったりもしました。

「フード・ファイト」では、どんな“恥ずかしい演技”をしてくれるのか、とヒヤヒヤしたけど、かなり健闘してました。妙に悟ったような「説教オヤジ」の役は さだ・まさし にピッタリ!
キャスティングの勝利ですね。

久しぶりに見た  さだ・まさし  は、テキトーに太っていて、精神的にも「あたり」が柔らかくなっていました。

そして、ここまで書いて、ふと気が付きました。

私も、かなりの「説教オヤジ」であることを・・・・^_^;



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