★苦しみは被害妄想の別名である★

これは、友人の言葉である。
彼はときおり、格言のごとくこういった言葉を紡ぐが、毎回、その的を得ていることに、 驚かされる。

苦しみというのは、頼みもしないのに寄り添ってくれている。
これだけ一緒のパー トナーも珍しい(笑)。
しかし、お付き合いは深いのにその本質というのはわかっていない。
わかっている つもりでも、はまってしまうと何もできない代物、なのである。

自分で知らない間に被害妄想に陥っていることが多い。
被害妄想だから、周りから そうと指摘されてもわからないから、始末に悪い。
作者もまたそのような瑣末な人間なので、自分がもっと役に立ちたい、認められた い、と思うがあまり、それが叶わず、苦しい思いをしてきた。
しかしあるとき、自 分に視線が向かっていることに気がつき、その視線を相手に向けたら、唐突にも「役にたっていてくれているよ」といわれた。
恋焦がれた言葉であった。しかし、 さらには「前もそういったじゃないか」と続けられた。驚愕。

人の言葉を聞け。
確かにそうだったのだ。相手は何度も何度もいってくれていたのだ。
それを私が聞いてなかったのだ。私が自分を認めてもらいたい、自分が一番でありたいと、思うがあまり、周りの自分への評価の基準を、思いきり高くしてしまって、それに及ばない相手の言葉に勝手に落胆していたのだ。
これは確かに、被害妄想。
相手はそれを口にしていたというのに、それを届かなく していたのは、私の被害妄想。

自分を認めてもらいたいと思うことも、自分を嫌うことも、あなたの視点は自分に向かっている。
自分に向かう限り、相手の言葉も好意も、周りの現象も、自分の基準で判断してしまっている。
それがいつも正しい判断といえるのかい?
自分に視線をむけるのではなく、周りにむけてみてごらん。
もっと自分の話をきいてくれ、と思う前に、相手の話をよくきいてごらん。

あなたを含め、すべてのものは、もともとその存在を許されて、ここに存在している。
落胆するべきことは、本当は、どこにも存在しないんだよ。

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