これは、友人の言葉である。 彼はときおり、格言のごとくこういった言葉を紡ぐが、毎回、その的を得ていることに、 驚かされる。 苦しみというのは、頼みもしないのに寄り添ってくれている。 これだけ一緒のパー トナーも珍しい(笑)。 しかし、お付き合いは深いのにその本質というのはわかっていない。 わかっている つもりでも、はまってしまうと何もできない代物、なのである。 自分で知らない間に被害妄想に陥っていることが多い。 被害妄想だから、周りから そうと指摘されてもわからないから、始末に悪い。 作者もまたそのような瑣末な人間なので、自分がもっと役に立ちたい、認められた い、と思うがあまり、それが叶わず、苦しい思いをしてきた。 しかしあるとき、自 分に視線が向かっていることに気がつき、その視線を相手に向けたら、唐突にも「役にたっていてくれているよ」といわれた。 恋焦がれた言葉であった。しかし、 さらには「前もそういったじゃないか」と続けられた。驚愕。 人の言葉を聞け。 確かにそうだったのだ。相手は何度も何度もいってくれていたのだ。 それを私が聞いてなかったのだ。私が自分を認めてもらいたい、自分が一番でありたいと、思うがあまり、周りの自分への評価の基準を、思いきり高くしてしまって、それに及ばない相手の言葉に勝手に落胆していたのだ。 これは確かに、被害妄想。 相手はそれを口にしていたというのに、それを届かなく していたのは、私の被害妄想。 自分を認めてもらいたいと思うことも、自分を嫌うことも、あなたの視点は自分に向かっている。 自分に向かう限り、相手の言葉も好意も、周りの現象も、自分の基準で判断してしまっている。 それがいつも正しい判断といえるのかい? 自分に視線をむけるのではなく、周りにむけてみてごらん。 もっと自分の話をきいてくれ、と思う前に、相手の話をよくきいてごらん。 あなたを含め、すべてのものは、もともとその存在を許されて、ここに存在している。 落胆するべきことは、本当は、どこにも存在しないんだよ。 |
エッセイのメニューへ |