★自由な不自由★
長い失業生活の中で分かってきたことがある。それは
「私は怠け者である」
ということだ。
前からうすうす分かっていたことではあるが、どうしようもないくらいにひどい怠け者らしい。いや、分かった、というのは怠けなくなった時に初めて言えることだろう。厳密に言うならば「自分が怠け者であることを頭ではわかっている怠け者」ということになるかもしれない。
私は一人暮らしをしていて自由な身である。おまけに失業中で仕事もないので、なんでも好き勝手なことができる。朝は起きたい時に起きる、寝たいだけ寝ていられる。パラダイスである。しかしちっとも楽しくはない。日曜も休日も楽しくはない。日曜と祭日を楽しめるのは仕事をしてる人の特権だなぁ・・・・とこの頃思う。
心の中には常に不安がある。これは別に金がなくなるから・・・・といった単純なものではない。例え私が金の心配をしなくてもいい身分であっても不安は消える事はないだろうと思う。
結局、怠け者は怠け者の自分を好きになる事が出来ないらしい。
自由自由、といっても実際はそれほど自由ではない、と言う事にも気がつく。
無駄遣いは当然出来ない。
朝は早く起きたいのに起きれない。
片付けたい用事も面倒くさがって出来ない。
仲直りしたい友達にも謝れない。
声をかけたい女性にも声を掛けられない(笑)
この日記だって更新したいのに出来ない。
多少なりとも辛い環境がないとネタがないのだ(^_^;)
表現の欲求は自分自身の価値観と周囲との軋轢(あつれき)によって湧いてくるものだ。欲求不満がなければ欲求は湧いてこない。
あれこれと考える欲求も出てこない。
自分自身の精神的エネルギーとは異質の精神エネルギーとのぶつかりあいによる摩擦や、その相対的な比較によって考える、という行為が出来るからだ。
そんな風に考えると、本当の自由というのは、やらなければならない事、本当にやりたい事、自分自身を好きになれる事、を喜んで実行できる事ではないか、と思うのだ。
贅沢な悩み、と思うかもしれないが、今私は不自由になりたい。
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