★映画と現実★

私は映画や小説が好きだ。映画に関しては劇場だけなら千本は観てる。ビデオも入れれば2・3千本になるだろう。

散々映画を観て飽きてくると小説に移行する、というのがいつもの私のパターンだ。映画は監督の力量・俳優の演技力・脚本の良し悪し・といった色んな要素がピッタリ噛み合わなければならないから、自分にとって本当に面白い映画を見つけ出すのはなかなか難しい。その点小説はそれらの制約がほとんどないので面白いものを見つけやすい。
しかしそれでも、ひたすら読み続けてるといいかげんに飽きてくる。何故ならどれほど精神的高揚が得られようと、それは所詮バーチャルな世界の出来事であり、現実ではないからだ。
その感動はニセモノに過ぎず自分のものではないからだ。

映画や小説に飽きてくると決まって最後にたどり着く思いは「どんなに面白い映画より、どうってこともない現実の方が面白い。」ということだ。

私は映画を観るときは、ほとんどが一人だが、観終わった後に喫茶店でボケーッ!とするのがいつものパターンだ。そんな時は隣の疲れたカップルや、普段は耳にも入ってこないような、どうでもいいようなくだらない会話がやけに楽しげに聞こえてきたりする。
やたら、人恋しくなったりするのだ。

そもそも私達は、何を求めて映画や小説を読むのだろうか?
現実をより良く生きるためのヒントを探しているのだろうか?
私は毒にも薬にもならないコメディなど観ると、無駄な時間を過ごしてしまったような気がして嫌な気分になる。それはもうほとんど罪悪感に近いものがある。
しかし、いい映画や感動的な小説は本当に私達の現実をより良くする事が出来るのだろうか?

私の友人で、本は読まない、映画も一切観ない、という人がいる。彼は現在43才、中小企業向けのプロモーションビデオを製作する会社の社長である。
彼とは長年の友人で色んな話をしたりたまに雑多な相談に乗ってもらったりするのだが、彼と話をするのは実に面白い。
どちらかといえば観念的で頭でっかちな私を刺激してくれる。彼からは何度も間違った思い込みを指摘された。話し続けているとまさに観念がガラガラと音を立てて崩壊していく。彼と話していると、読書量と頭の良さは全く関係ない、ということが良く分かる。

むしろ不必要な本を沢山読むことは害になるのではないか?と思うのだ。
彼のことを思い出す度に、やはり映画や小説は現実逃避にすぎない、と思う。

映画や小説の主人公が、どれほどの苦難を乗り超えて成長しようと自分が成長するわけではない。どれほど感動しようともそれは借り物にすぎない。主人公の苦難は私達にとってはクライマックスの感動のためのスパイスに過ぎない。
映画の中の苦節1年は私達にとってはたったの1時間だ。

現実を変えるには、自分自身がこの現実の中で主人公になるしかないのだ。

・・・とは言ってみても、現実の私は、未だに映画の呪縛から逃れることが出来ない。
「映画よりも面白い現実」にしたいものだ。

なんだかエラソーなことを書いておきながら、なんともしまらないオチだねぇ。(^_^;)