★迷宮脱出の原則(その5)★


苦しみありて信あり」とは、一体どういうことなんだろう?

そもそも「信じる」ということはどういうことなんだろう?

ところで、みなさんはSFは好きですか?え?全然ダメ?(笑)
私は昔からSFが好きでしたねぇ。
今でも「SF超大作」と名のつく映画は駄作だと分かっていても観たくなる。
確かに、SFを全然受け付けない人もいるけど、SFの好きな人は意外と多いんじゃないか、と思う。
それは、金がかかってる映画だから観なきゃ損(笑)という範囲を超えているような気がする。
その中で描かれるのは宇宙旅行であったり、超能力であったりするわけですが、
やれ「荒唐無稽だ!」「馬鹿馬鹿しい!」と言いながらも楽しんで観てるのは、その中にリアリティを感じる部分があるからこそだろう。
本当の意味で荒唐無稽な馬鹿馬鹿しいものなど楽しんで観ることは出来ない。
どこかでリアリティを感じるからこそスリルやサスペンスを感じる。

しかし、私たちはこの現実において、SF映画よりもっと信じられないものを信じているような気がするのだ。

例えば、明日のことを思って気に病んだり、期待するのは、明日も自分が生きてることを信じているからだ。

人間は、明日ではなく、もっと先のことまで信じている。
例えば「住宅ローン」
これは10年〜20年の長期にわたるものですが、少なくとも住宅を購入した人は、これから先10年〜20年は、
戦争が起こって家が焼けることもなく、地震で壊れることもなく、
子供が産まれ、離婚することもなく家庭円満で、
会社が倒産することもなく、
自分や家族が大きな病気や事故に合うこともなく、
平穏無事に10年〜20年が過ぎていく

と、いうことを心のどこかで信じているからこそ、住宅を購入するのではないだろうか?

商工ローンやサラ金や住宅ローンや倒産による自己破産者は今年は12万人に達する勢いです。
単純に計算しても一日に330人の人が破産している計算になりますね。

でも、私が思うに、住宅ローンを組んでる人に限らず(住宅ローンを払ってる人は気にし過ぎないように・・・(笑)・・・)、私たちは自分自身が実に多くの「信じられないもの」を信じていることに気が付いていないのではないだろうか?

世の中の宗教嫌いの風潮はすっかり定着してしまいましたが、宗教が嫌いだ!と言いながら、
日の出を拝み、
初詣に行き、
賽銭箱に10円玉を放り込み(笑)
七五三のお祝いをし、
合格祈願に行き、
厄除けをし、
葬式には坊さんを呼んで戒名に高い布施を払う。

これの、一体どこが無宗教?(笑)

この節操のなさ、というのは現代人の心の不安の現われのような気がしますね。
何も信じられない不安。それを必死でごまかしてる。
しかし、いずれ、ごまかしきれない時がくる。
いずれ逃げ切れなくなる。

そういえば、昔見た映画の中でこんなのがありました。

私は、自由になりたいのよ!

真実から、どうやって逃げるというのだ!


でも、逃げられる間は逃げていたい。(笑)

何から逃げたいのか、といえば、この世のすべては常に変化しつづけ、とどまることなくいずれは壊れていく、という無常性を認識することから逃げたいわけですね。

そして、その無常を根本としたこの世の中にあっても壊れないものを探し始める。

もし、外側に見つけることが出来なかったら、残るは内側しかない。

そして、最も価値のあるものとは、無常の現実の中にあっても、
常に幸福を感じることの出来る心、であることに気が付く。

外的なものや物質的なものに心がとらわれればとらわれるほど、私たちは心の苦しみから脱出する力を失っていく。
なぜ苦しいのか、どうしたら苦しみから逃れることが出来るのか分からなくなってくる。

苦しみありて信あり」という言葉は、非常に深遠な意味を含んだ言葉だと思う。

苦しみに直面しない限り、人間が本当に信じられるものを捜そうとしないことを現しているのかもしれない。
同時に、苦しみに直面した時にはじめて、自分がいかに信じられないものを信じていたかに気が付く、ということかもしれない。

最後に、「信じる」ということの意味を考える上で参考になるような言葉を
ズラズラっと、紹介しましょう。(笑)



迷信を退けることもまた迷信である。
(フランシス・ベーコン)


迷信−おそらく主観的にしか使うことのできない
曖昧な言葉である。


懐疑主義は実は諸刃の剣である。
本当の懐疑主義者には開かれた心がある。
真実は近づいて見れば見るほど分からなくなる
ということを身をもって知っているからだ。


正しい高潔な目的なんて忘れること、いい?
この世に正義なんてものはないの。
真実を知りたいんでしょ?
それじゃ何事も信じちゃだめ−−−誰のいい分もよ。
神父のも−−−あなた自身のも

(キャロル・オコンネル著・「クリスマスに少女は還る」より)


●投稿者:夢野 さん  投稿日: 9月29日(金)19時42分17秒

電磁力はエゴ、重力は愛と誰かいってた。
象徴としての。計算では実数と複素数 の関係にある。

そう、ヒトは仮説の海で生きつづける、永遠を掴むまでね

●投稿者:あさ さん  投稿日: 9月30日(土)00時44分34秒

つまりは私達は,仮説の海を抜け出せないということなのです。
なにより、完全な証明はできない。

究極の前提は"公理"として、承認-あるいは「信仰」すること。

それを逃れることは、私達には出来ないーおそらく永遠に。
始まりの意志のみが可能であるけれど、その存在は不詳。

宗教とよぶならそれも可。
しかしそれでも有効であることに変わりはないのです。

明晰夢の掲示板より抜粋しました


エッセイのメニューへ