エッセイ

 


9月7日(木)

野球嫌い

ただいま〜〜!やっと帰って参りました。とりあえず生きてます。(笑)

え?一体何日帰省してたか、って?

えーーと・・・・帰ったのが8月11日で、戻ってきたのが9月5日だから・・・・・・まあ、約一ヶ月ってところですか・・・。
私の友人が帰省中に東京の自宅に電話をかけたところ、受話器から

お客様の都合によりこの電話が現在使われて・・・・

のアナウンスが流れてきて、私が失業中であることを知ってるその友人は、てっきり餓死したのかと思ったそうである。
それにしても無職だからこそ出来る一ヶ月の帰省である。
この先、私の人生の中でこのようなことはないかもしれない。
しかし、ありそうな気もするなあ。^_^;

それにしても、無職の状態での帰省ほど味気ないものはない。
仕事の合間の帰省だからこそ楽しいのであって、先行き不安をかかえたままの帰省は面白くも何ともない。
遊ぶ気力さえも出てこないので、帰省中は家から1キロメートル以上は出掛けなかった。
博多明太子などという贅沢なものも、ばち当たりな気がして食べる気も起こらない。働かざるもの喰うべからず、って気になる。おかげで、帰省先の母親の料理以外は「うどん」ばかり喰ってた。博多でこれ以上に安くてうまい食い物はないのである。

さて、東京に戻ってくると、大家さんがすまなさそうな顔で(私が失業中なのを知ってる・・・)

「9月で部屋の契約が切れるんだけど、分かってる?」
・・・・・ガーーーーン!

私は更新は来年だと思い込んでいたのである。
大家さんに必死で泣きついて今年一杯待ってもらうことにした。毎月の家賃も一ヶ月遅れているので、しっかりイヤな顔をされたが、ない袖は振れないのでしょうがない。
ピンチである。笑いたくなった。もちろんヤケ笑いである。

これ以上くどくどと仕事と金の事を書くとお先真っ暗な気分になるので、ここらでやめることにする。
え?面白いからもっと聞きたい?・・・・・話してあげません。

さて、話は変わって、帰省した時の話を少しだけしよう。
福岡の帰省先は、一人暮らしのおふくろのアパートである。
親父は7年前にクモ膜下出血で死んだ。
2つ違いの弟とは、訳あって絶縁中である。
忘れた頃にひょっこり産まれた13才違いの妹とは、仲はいいもののこれまた訳あって殆ど顔を合わせることはない。
おふくろ、と言っても20年以上前に離婚してるので、血は繋がっていても姓は違う。
「元おふくろ」と言うべきか?
しかし、私が産まれたのはおふくろの腹からには違いないから、やはり「正おふくろ(?)」と言うべきか?

おふくろは野球が大好きである。巨人ファンである。
一番のお気に入りの選手は松井選手(ゴジラ)である。
理由は“私好みの美男子”と言うことらしいが、同僚にそれを言ったら
「あんたの美的センスってどうなってんの?」
と言われたらしい。

そんなわけで、帰省中のテレビはプロ野球巨人戦と高校野球の野球三昧。
しかし、私はテレビも野球も嫌いなので、いささかウンザリした。
別にスポーツが嫌いなわけではない。
しかし、スポーツは自分がやるから面白いのであって、スポーツを観て楽しむ、という気持ちが全く分からない。ひいきの球団の勝ち負けに一喜一憂している野球ファンの気持ちが私には理解できないのである。

特に、巨人が負けそうになってるとき、チャンスをものにできずに三振したり、守備のミスで相手チームに点が入った時の

ば〜か。なにやってんの

という言葉を聞くと私はキレそうになるのである。

茶の間のテレビの前に陣取ってお菓子でもツマミながら観てる方は気楽なもんである。
自分でやってみろ 」と言いたくなるのである。
これは、高校野球も同じで、福岡の柳川高校が勝てば、確かに嬉しいような(?)気もする、という程度である。特に高校野球は、「自己の幸福は他人の不幸の上に成り立っている」というのを痛切に感じさせてイヤだ。勝ったチームの嬉し泣きにむせぶ顔を見ても
「負けてくれたチームにも少しは感謝しろ!」
と言いたくなるし、負けて悔し涙を流しているチームが甲子園の土を拾う場面を見ても
みっともないなあ
と思ってしまうのである。
妙に腹立たしい気分になるばかりで、少しも感動しないし、彼らのことを少しもカッコイイとは思わないのである。
勝敗が決まった時の彼らの、まるで演技でもしてるような定番の反応ぶりにもシラケてしまう。
彼らは何か大きな勘違いをしているような気がしてならないのである。

最後に、作家の宮本輝が、自らの大学時代のスポーツ体験(テニス)を語ったエッセイを紹介しましょう。



私は、大学時代、テニスの選手だった。
下手なプレーヤーであったのだが、テニスで学んだものは数限りない。
そのなかで、私にとってもっとも大きなものは、〈負けを認める〉ということだった。
どんなに悔しくて、頭の中が真っ白になりつつ逆上していても、勝った相手を讃(たた)えて、握手しなければならない。これは簡単なことではない。

あるとき、私は大接戦の末に負けた。マッチポイントを三つも握りながら、逆転負けした。

私は、ネットを挟んで、対戦相手と握手をし、ラケットを小脇にテニスコートを出た。
そして、コーチのところへ行き、

「相手が一枚うわてでした」

と言った。すると、コーチは、私の頭をラケットの柄で殴り

「負けたのは、相手が強かったからか?違う。お前が弱かったから負けたんや。相手が強いなんていうのは、負けたのを、相手のせいにしてるんや」

と叱り、さらに、こう怒鳴った。

「ゲームが終わって、相手と握手した時の、お前の顔は、いったい何や。相手の顔から目をそむけて、ただ手だけ出しやがって。お前、一体、何のために、テニスをやってきたんや。もういっぺん、相手のところへ行って、心からの笑顔で、『おめでとう』って言ってこい。それができんのなら、もうあしたから部室に来るな。テニスなんか、やめてしまえ」

泣きそうになりながらも、私はコーチの言うとおりにした。


●【 宮本輝・エッセイ集「生きものたちの部屋」より 】



一ヶ月も更新を休んでしまったので、しばらくは罪滅ぼしにマメに更新することにします。

・・・とは言っても、それほど長くは続きそうもないが・・・・^_^;

これに懲りずに、これからも「迷宮」をよろしくお願いしますネ!

9月9日(土)

幸運の総量

病とはなにか?

これは、医学が発達した現代においても最重要な課題である。
病の本質については、何一つ解明されてはいない。

病気には、ひとつの共通したパターンがある。
それは、病気が治っていく過程において、一時的に病気が悪化したような症状が現われることだ。

いわゆる「好転反応」といわれるものである。

健康になりつつある身体の中の病巣が全力を傾けて最後の悪あがきを始めるのである。

私は胃腸が弱い。おかげで(?)、今も身長164センチ、体重48キロである。
平均体重からすればマイナス10キロである。
しかし、風邪もひかずに健康である。それでも、あと5〜10キロの体重が欲しいとは思う。
胃腸を強くすることは、私にとって一生の課題になるかもしれない。

胃腸が弱い、と言っても食事はおいしく食べることができる。
しかし、昔から「おいしく食べる」ことが出来てたわけではない。
20代中半から30代中半の10年間、私はまさに砂を噛むような食事をしていた。
三度の食事は、ただ食べなければ身体がもたないから・・・、という義務感で食べていた。

そんな食生活に嫌気がさした私が一念発起してとったのは断食療法だった。
断食といっても完全断食ではない。一日に一回、丼一杯のお粥をとる半断食である。

この療法は効を奏して一ヶ月後には健全な食欲が戻った。
不思議だったのは一日、丼一杯の食事期間(二週間)に体重が2キロ増えたことだった。
いくら分量を食べたとしても胃腸が弱っていて消化吸収の効率が悪ければ太らないことを身を持って体験したわけだ。
今でも、一日の食事量を減らすと私は太る。

しかし、健全な食欲を取り戻す過程で身体はさまざまな変調をきたした。

最初は猛烈な吐き気だった。
それが一週間ほど続いた後は胃の鈍痛が2〜3日続き、その後は下腹(腸)の痛みが続いた。
下腹が痛み出してトイレに駆け込むとウンチがこれでもか、というほどに出て便器がてんこ盛りになった。
腸も一緒に出てしまったのかと心配した。
最初は黄色だったウンチは、徐々に黒ずんできて、さらに山羊(やぎ)のフンのような黒い玉がコロコロ出てきた。最後にはとうとう砂利のようなものまで出て来て、こんなもんが腹の中に入ってたのかとア然とした。

宮本輝が 「草原の椅子」 という小説の中で、この「好転反応」を 「ゴムホースの原理」 と称して語っているシーンがあるので、ここに紹介しましょう。



「要するに、ゴムホースの原理やな」

「何ですか?その、ゴムホースの原理って」

「一本のゴムホースがあってな。そこに絶えず水道の蛇口からの水が流れてるかぎりは、ホースの中にゴミは溜まりよれへんやろ?」

「ええ、まあ、そうですね」

「人間というものを、このゴムホースとして考えてみたら、50歳の人には、50年間にわたって溜まった、さまざまなゴミがそこに詰まりよる。あの子のホースには、普通の育った子とは違うゴミが詰まってるんや。(幼児期における母親からの虐待)そこに、自分に危害を加えることの断じてない、愛情を伴った水が入ってきたんや。その新しい綺麗な水がホースの中で一杯になってきたから、詰まってたゴミの一部が押し出されて出よった」

「突然、壁を見つめて、何の反応もしなくなったことは、つまり、そのゴミの一部が流れ出た状態だってことですか?」

病気が治るとき、一見、悪化したような症状を示す場合がある。
とりわけ肉体の病気ではなく、心の病気の場合にそれは顕著なのだ、と医師は言った。

「今、綺麗な水がどんどん入って来て、あの子の心のゴミを押し出し始めたんやな。そやから、これからもときどき、いろんな不可解な症状を呈するやろけど、水をホースの片方から、どんどん注ぎ込みつづけたら、ある時、詰まってたゴミの残りが音を立てて出てしまいよる。出てしまいよったら、あとはそれ、綺麗な冷たい水ばっかりが、ホースから出つづけるっちゅうわけや」

奇異な症状を、ゴミだと見破らなければ、水の送り手は、落胆し、水を送りつづける力をな失くしてしまう。水を止めたら、ゴムホースのゴミは、さらに増える・・・・。

「そやけど、このゴムホースの原理は、人生万般に通じることやと、わしは思うてるんや」

「ゴミが出っ切ってしまうまで、水道の栓を閉めちゃあいけないんですね」

「そうやがな。木と木をこすり合わせて、火を起こすのとおんなじや。せっかく煙が出て来たのに、もうしんどいっちゅうて、やめてしもたら、また一からやり直さなあかん。それとおんなじや」


変化があらわれたというのは吉兆だ。医師はそう言った。


この、一見、病気が悪化したような症状を呈する「好転反応」はどんな病気が治る場合にも起こる。
そして、これは人生についても同じことが言える。

人生を好転させようと必死で努力し始めても、すぐにいいことが起こるわけではない。
まず始めに、自分が過去に成した悪いことのツケが一気に返って来て悪いことが起こる。

腫れ物を治すには、まず膿を出してしまわなければならない。

物事がほんとうの意味で好転するのは、その後である。

それを知らずに、この好転反応をただ単に 「悪いこと」 と受け取り、努力することをやめると人生を失敗する。
悪いことが起こるのは決して悪いことではなく吉兆であることが多い。
一般的な価値観から見ると、この「好転反応」や、悪いことを吉兆と見る考え方はピンとこないかもしれない。しかし、宗教的見地に立てば意外とスッキリする。

ヨーガなどではしばしば 「浄化」 という言葉で表現される。
キリスト教的に言えば 「祝福」
仏教的な表現では 「カルマが落ちた」 などと言う。

「なんか、いいことないかなぁ」 と言うのが口癖の人は、あなたの周りにも一人くらいはいるかもしれない。
もしかして、あなたも言ってる?(笑)

でも、いいことが続き過ぎると不安になりませんか?
私はなんだか不安になってくる。

「好転反応」と逆に、消えかけた蝋燭(ろうそく)がパッと燃え上がるように、重病患者が一時的に良くなったような症状を示す時があります。
たとえば、ゴルフでホール・イン・ワンを決めることを悪いことが起こる前触れとして受け止める人もいますよね。

一般的にいうところの「いいこと」は、あくまで「自分にとって都合のいいこと」ですから、その裏には必ず「自分にとって都合の悪い人」がいるわけですね。
そこで「いいこと」を取り戻そうという力が働きます。
この世は基本的に 「いいこと」 の奪い合いですから・・・・。
一人一人の「幸運」の総量は無限ではありません。
そして、その総量はその人の 「徳」 の総量と比例します。
つまり、人によって 「許されている幸運の総量」 が違うのです。

「幸運」は、お金みたいなものですね。
使えばなくなります。
つまり「運の尽き」というやつですね。

悪いことが起こっても、これは「浄化」である、と考え
「つまらないことに運を使わずに済んでよかったなあ」 と考え
自分が苦しみを経験したことによって他の人の苦しみを理解出来るようになり、楽しみの裏にある苦しみに対する認識が深まって私は賢くなった。と、考えることが出来たら、人生はもっと楽に生きることができるだろう。

そして、このような考え方は、苦しい経験を本当の意味で 実のある経験 に変化させるためにも必要だと私は考えている。

9月16日(土)

なんにもない!

私の日記は長過ぎる、とよく思う。
それと、この日記は、日記なのかエッセイなのかよく分からないときがある。
あまり、日々の出来事、というのは書いてないですよね。
そんなわけで、日記、というより、エッセイに近い日記 にはタイトルを付けました。
一体何が書いてあるのか分からないんじゃ、こんなだらだらと長い日記、誰も読まないんじゃなかろうか?と思ったわけですが、その効果のほどは分かりません。

少しは、読んでみようか?という気になりませんか?

エ?別に変わらない?・・・^_^;・・・・

短いものや、雑文には付けません。
それとも、雑文の方に付けて欲しい?(笑)

何故、日々の出来事を書かないか、と言えば

別に、なーーーんにもない!からです。^_^;

私自身は、今現在、あまり調子が良くない。

相変わらず職もなく、積極的に捜す気力も出ない。
まあ、自業自得、ってヤツですが・・・・

で、調子が悪いときはあまり書きたくない。
なんだか、この日記を読んでるみなさんの調子まで悪くしそうな気がしてしまう。

それとも、最悪の日々を書いた方が、みなさんは元気になるのかな?
だったら、書いてもいいけど・・・・^_^;

さて、この日記は、5行くらいで終わらせるつもりだったので、タイトルを付けるのはやめよう、と思ってたけど、10行以上になったので(モッタイナイので・・・・^_^;・・・)タイトルを付けることにした。(笑)

でも、こんな感じで日記を終わらせるのは、なんかイヤだなぁ・・・・。
と、いうわけで、私の心に強烈な印象を残したエッセイを紹介しましょう。
作者は、もちろん、私の好きな 宮本 輝 です。

こんな時は、他力本願 に限るなぁ!(笑) 
]
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9月17日(

シックス・センス

この頃、「迷宮」がつながりにくい!
「hello」のサーバーの調子が悪いのだろう。
まあ、無料なので文句も言えないが、移転も考えている。

ところで、みなさんは、「シックスセンス」を観ましたか?
ジャンルとしては「ホラー」ということになるみたいだけど、怖かったですか?
私は全然怖くなかった。(笑)でも、とても面白かった。

前半、ブルース・ウイリスがはじめて少年を訪ねるシーンは印象的でした。
お互いの心をさぐるように慎重に言葉を選びながらポツリ、ポツリ、と交わされる静かで緊迫感ある会話のシーンで、この映画の監督が好きになりました。

映画の冒頭で

この映画の秘密は決して他人に言わないでください

というのがありますが、「シックスセンス」という映画を「秘密抜き」にして語ることは不可能ですよね。
だって、この「秘密」こそ「シックスセンス」の最大のテーマだからです。

でも、あえて語ります。(笑)

映画の結末が分かっても、全く平気な人もいますが、あなたも、平気ですか?(笑)

直接的に映画の内容には触れていませんが、これから 「シックス・センス」を観よう、と思ってる人は

ここから先の文章は読まない方が無難です。

関係者以外(?)・立入禁止!!(笑)








私はこの映画を観終わって外の街の風景(新宿歌舞伎町)を見ながら

「これは、もしかしたら夢かもしれないなあ」

と思ったりしました。

例えば私たちは夢を見て、その夢から醒めた時になって初めて夢と気が付きます。
後から夢を思い返して見ると、もうとっくに死んだはずの友人が出てきたり、自分が小学生だったり、行ったことのない土地だったり、おかしな事ばかりだったことに気が付きます。

でも、夢の中では、それを当たり前に受け止めて疑問のかけらも持っていません。
では、今、目が醒めて見ている、目の前の現実は本物の現実なんだろうか?

この現実が「夢の中の夢」ではない証拠はどこにあるのだろうか?

例えば、甘いものが苦手な人にとって、まんじゅうやコテコテの甘いケーキをおいしそうに食べてる人が信じられないし、錯覚を起してるとしか思えないだろう。

つまり、味覚ひとつをとってみてもそれぞれの好みは千差万別だから、聴覚、視覚、嗅覚、触覚の総合的な感覚で全く同じ感覚を持ってる人はひとりもいない。

つまり、自分とっての「当たり前」は他人から見ると「錯覚」にしか見えないし、他人の「当たり前」は自分から見れば「錯覚」にしか見えない。

私の友人で、眠りに就いて、夢の中に入って行くプロセスを全部覚えてる人がいた。
ある日、彼がそのことを他の友人に話したら、ビックリされた。
ところが、ビックリしたのは彼の方だった。
何故なら、彼は 「そんなこと、当たり前だ」と思っていたからだ。
彼は、他の人も夢に入って行くプロセスを覚えている、と思ってたし、夢の中で「これは、夢だ!」と自覚できている、と思っていたのである。
しかし、「これは夢である」という自覚を伴った 明晰夢を頻繁に見ることのできる人は少ない。

ほんとうに当たり前のことなど、なにひとつないのである。

私たちは、それぞれに、それぞれの夢を見ているに過ぎない。

9月20日(水)

8ヶ月ぶりのエッセイ

やっと、迷宮脱出の原則(4) をUPさせる事が出来ました。

実に、8ヶ月ぶりだ!(;^_^A アセアセ・・・

これは、私が今まで、グウタラ生活してきた証拠みたいなものだ。

反省してます。

まだまだ手直しする余地はたくさんあるけど、無謀にもUPすることにした!(笑)

意見がありましたら、どしどしお寄せください。

9月29日(金)

きっかけ

パソコンの調子が悪い。

Error強制終了の嵐!(泣)

ハードディスクをまっさらにして Windows を再インストールしようと思ったが、バックアップを取るのが面倒なので上書きインストールしたのが地獄の一丁目。
いきなり日本語入力ができなくなったり、押したキーとは違う文字が出てきたり・・・
最悪なのは画面が16色表示になったこと。写真の画面などは何が写ってるのかさっぱり分からない。
16色の世界を体験したい人は、「設定」「コントロールパネル」「画面」「ディスプレイの詳細」の色設定画面で体験してみましょう!めいっぱい情けない気分が味わえます。(笑)

考えてみれば、二年間も使っていて一度も再インストールしたことがないので、おかしくならない方がおかしいかもしれないが・・・・・
クラッシュするのも時間の問題か?
でも、ソフトの障害があるだけでハードは異常がなさそうなので、不幸中の幸いかな?

今日は、リンク集に三件のサイトを追加しました。

まず、ひとつは、ときどき掲示板にカキコミをしてくれてた愛ちゃんがHPを開設しました。
愛さんは、ついこの前まで、パソコンについては右も左も分からない超初心者だったはず。
それが、あれよあれよという間にHPを作ってしまった。スゴイですね。
目ん玉が迷宮しそうなトップページのぐるぐる水玉が可愛い。
愛さんは“自称”「フツーの駄目人間」らしいけど、掲示板の過激なカキコミを見る限りぜんぜんフツーじゃない。
駄目人間、と言えば私も立派な駄目人間だし・・・・・。愛さんはとても上等の(?)駄目人間です。(なに言ってるのかわからん?・・笑・・)

ふたつめは、新装オープンした愛明さんのHPです。
なんと、ここでは2つの日記(愛明さんと大地さん)を同時に見ることが出来ます。
初めて見た時、なんて斬新で贅沢な日記だろうと目からウロコが落ちました。
二人のかけあい日記(?)がとても楽しい。

そして、みっつ目は、明晰夢の掲示板です。

明晰夢とは、夢の中で「これは、夢だ!」と気が付く夢のことです。
私は随分前からこの掲示板をROMっていましたが、先日やっと初投稿しました。
正直なところ、ここの掲示板は話題のレベルが高すぎて投稿しにくい。(笑)
まして、私は明晰夢を見ることはほとんどない。私のは 迷積夢

初投稿は、掲示板のカラーとはほど遠い「自転車泥棒」ネタと「さだ・まさし」ネタでした。
背伸びしても無駄な抵抗だしね。(笑)

さだ・まさしについて は、ティータイムにUPしました。
おヒマな人はどうぞ!

外をふらふら歩いてたら、「SEIYU(西友)」に「年中無休・夜の11時迄営業!」の貼り紙。
大手スーパーもコンビになみの営業時間になってきたんですね。
いずれ、24時間営業になるかも・・(笑)

生活時間がどんどん夜にズレてくる。
以前は置いてなかった酒も、この頃ではほとんどのゴンビニで売ってるしね。
夜型への移行は危険な兆候だと思う。夜型の私が言うんだから間違いない。(笑)
夜は肉体的にも精神的にもエネルギーの消耗が激しくなります。誘惑も多いしね。

軽症の「鬱」の人であれば、生活時間を夜型から朝型にするだけで治ってしまう、という話を聞いたことがありますが、確かに私の知ってる朝型人間は殺しても死なないような元気な人ばかりでした。

以前にも書いたとおり、私は筋金入りの夜型!
でも、朝型になりたい!なかなかなれないけどなりたい!
だから 「朝型は素晴らしい!」 というネタを必死で集めている。
こうなるとほとんど 信仰 というか、自己洗脳。

考えてみると、朝型人間への憧れみたいなものは以前からあったのだろうと思う。
予備校に通いながら 新聞配達 をしたのもそのひとつ。
結局予備校は三ヶ月で中退!^_^;でも、新聞配達は一年間やった。

で、少しは朝型になるかと思ったら、その後の10年間にわたる水商売遍歴で水の泡。(笑)
バーテンに始まってコック、クラブのウエイターからピンクサロンまで・・・^_^;。
プラスマイナス・ゼロどころの話ではない。
ひたすらマイナスマイナスマイナス・・・・・・・・・

水商売から足を洗うきっかけになったのは、居酒屋やパブをハシゴして、朝まで飲み明かし、新宿の街をフラフラと歩いているときに朝の出勤するサラリーマンやOLとすれ違うときでした。
特に、紺のスーツと目にしみるような真っ白なブラウスのOLなんかとすれ違うときは、飲み疲れてボロボロの自分が惨めでしたねぇ。回れ右して走って逃げたくなります。
水商売の女を見慣れている私にとって、そんなときの彼女たちの姿はやたらとまぶしく見えた。
まるで後光が射してるみたいに・・・(いやホント)
太陽を直視した吸血鬼みたいな気分になりました。

しかし、水商売に染まった人間にふさわしい転職の動機ですねぇ。^_^;

あーあ、しょーもないこと書いてしまった。

そのわりに長いし・・・(笑)